母ナーダだけは反対した。
一家はようやく安住の地を見つけ、オーストラリアで平和な暮らしを実現できた。戦争を経験して、一家で平穏に過ごせることがどれだけ幸せなことか、彼女は肌で実感していた。挑戦したい息子の気持ちは理解している。だが、息子が一人でヨーロッパに戻ることには抵抗があった。
「母は行かないで欲しかったと思う。でも父と兄が『頑張ってこい』背中を押してくれた」
家族のためにも、絶対に成功する――。
見事トライアルに合格し、その日のうちに3年契約のオファーを勝ち取った。目標にしていたヨーロッパでのサッカー人生が幕を開けた。強い気持ちを胸に秘めて。
U-19とセカンドチームで過ごし、結局トップチームで出場することはできなかった。だが2015~16年シーズン、ドイツ2部の1860ミュンヘンに移籍するとトップチームで出場機会を増やしていく。センターバック、サイドバック、ボランチと複数のポジションをこなせるユーティリティー能力は評価され、昨年5月にはオーストラリア代表として国際Aマッチデビューを果たすことになる。
「ミュンヘンには2つのクラブがあって1つはメガクラブのバイエルン。そしてもう1つが僕のいた1860ミュンヘンでした。2部とはいえレベルの高いリーグで、多くのものをここで学ぶことができたのです」
そして今年、F・マリノスからのオファーが届く。
ヨーロッパでのキャリアを進めていく目標は、日本行きによって遠回りになってしまう可能性もある。だが、プロのサッカープレーヤーとして海外のクラブから評価されたことが何より嬉しかった。
「クロアチアに生まれ、セルビア、オーストラリア、ドイツ、そして日本。生活していく5つめの国になった。僕はこれまでチャンスとチャレンジを受け入れる人生を送ってきました。誰も知り合いがいないところに一人でやっていく。そうすることで人間としても成長できると僕は思っている」
戦争体験を持つ日本には少なからずとも関心を抱いていた。
アウェーで広島に遠征した際は、平和記念公園を訪れた。戦争を体験した一人として、平和に対する思いを噛みしめることができた。
「戦争は愚かな行為です。平和記念公園に行って、あらためて戦争は起こってはいけないものだと強く感じました。日本の戦争は70年以上前になりますが、ユーゴスラビアはまだ20年しか経っていない。戦後の日本が復興を果たしてきたように、日本から学べるところは多い。いろいろなことを、この日本で感じることができています」
世界を回り、チャンスとチャレンジを受け入れてきたミロシュ。
これから先、どのような未来が待っているのか。
彼は言う。
「社会は、自分じゃコントロールできません。毎朝のように、暗い、良くないニュースが世界から飛び込んでくる。何が起こるかわからない未来を語るのは、正直難しい。ただ、自分がコントロールできることで言うなら、将来的に結婚して、子供にいろいろなことを教えていきたい。そしてサッカープレーヤーとして、キャリアを進めてきたい。僕は前向きな性格。未来をポジティブに考えています」
チャンス、チャレンジ、ポジティブ。
彼はいかなる境遇も受け入れて、地に足をつけて自分の人生をしっかりと踏みしめてきた。
前だけを見ればいい。
これからもミロシュが歩みを止めることはない。
二宮寿朗Toshio Ninomiya
1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当。'06年に退社し「Number」編集部を経て独立。著書には『岡田武史というリーダー 理想を説き、現実を戦う超マネジメント』(ベスト新書)、『闘争人~松田直樹物語』(三栄書房)、『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『サッカー日本代表勝つ準備』(北條聡氏との共著、実業之日本社)がある。現在、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)を連載