昨日のことのように覚えている。
あの日、悩みに悩んだあの時間を。
2018年8月18日、鹿島アントラーズとのアウェーマッチを控えるチームは宿泊先のホテルに入った。移籍2年目の扇原貴宏はアンジェ ポステコグルー監督のもとでチームの中核を担うようになっていた。
1試合少ないとはいえ最下位と勝ち点2差の14位と低迷し、キャプテンの中澤佑二が負傷によって離脱。チーム全体で取る夕食も、何だか重い雰囲気が漂っていた。
「明日のゲームキャプテンはタカで行くぞ!」
指揮官からの突然の指名に体がびくついた。
えっ、俺?
戸惑いを隠さずにはいられなかった。副キャプテンは栗原勇蔵、飯倉大樹、喜田拓也、中町公祐と4人おり、彼らのうち試合に出るメンバーがキャプテンマークを巻くものだと思っていたからだ。部屋に戻って、ずっと考えた。最初の答えは「断ったほうがいいな」だった。
「びっくりが消えなかったし、大樹くん、勇蔵さん、マチさん、キー坊がいて、本当に自分でいいのかな、チームとしていいのかなって思ったんです」
消極的という意味でも、腰が引けたわけでもない。中澤が不在となった今、F・マリノスを引っ張ってきた人たちがその役割を担うべきじゃないかと考えたからだ。
「一晩、悩みました」と彼は言った。一晩とは、キャプテンマークを受け入れる覚悟に費やした時間であった。
「監督が僕を指名してくれたからには断るんじゃなくて、それに見合うようにならなきゃいけないだろうと思ったし、やれることは精いっぱいやろう、責任感を持ってやろう、と。最終的には『断っている場合じゃないやろ』っていう気持ちになりました」
迷いは吹っ切れた。
鹿島には0-1で敗れてしまった。しかしその後もゲームキャプテンは継続されることになる。キャプテンマークを受け入れたその責任感は、誰しもに伝わっていた。
2017年、タカは横浜の地にやってきた。
セレッソ大阪の育成組織からトップチームに昇格し、ロンドンオリンピックのベスト4にも貢献。チームの顔の一人であり続けた。だが2016年に入って出場機会が激減。シーズン途中に名古屋グランパスへ移籍したものの、腰椎骨折で長期離脱の憂き目にあった。自信がつぶれそうになっていた自分に対してF・マリノスが獲得オファーを出してくれたことはうれしかった。
「名古屋に入ってすぐにケガをしてしまって、チームに貢献できないままJ2に降格してしまった。その状況で(チームを)出ていくというのは難しい決断だったけど、試合に出ていないなかでオファーをもらえて、やっぱりサッカー選手としてJ1でやれるということを証明したいという気持ちが強かった。一からのスタート、自分のすべてを懸ける思いで、横浜に来ました。自分の分岐点になった移籍だったと思います」
一からのスタート。
その言葉に嘘はなかった。横浜で新しいスタートを切るにあたり、オフでは体をいじめ抜いたという。走り込み、筋力トレーニング、フィジカル強化は「今まで一番やった」。ハングリー精神を高めるために、体のみならずメンタルも追い込んだ。「もういいか」と弱音を吐きそうになったらすぐに「今年やらなきゃいつやるんだ」と抑え込んだ。
チームにもスムーズに溶け込んでいく。
「最初に知っていたのは(齋藤)学くんくらい」だったが、すぐに〝愛されキャラ〟を発揮する。キャンプでニンテンドー3DSの『桃太郎電鉄』ブームを巻き起こしたのも他ならぬ彼である。
「(天野)純とは同部屋で、桃鉄を純が持っていなかったんで一緒に買いに行きました(笑)。俺、純、(遠藤)渓太、(新井)一耀でやり始めて、途中から(松原)健が入ってきたような感じでした。コミュニケーションを取る手段としては良かったかもしれません」
のちに結成されるゴルフ部にも名を連ねる。「そういう会合は、大体参加しています。みんなとワイワイするのが好きなんで」と社交的な人は言う。とにかく仲間と一緒に何かをすることが根っから好きなのだ。
2017年はベンチ外からのスタートになった。リーグ戦初出場は第6節のホーム、ジュビロ磐田戦(4月8日)の途中出場まで待たなければならなかった。しかし本人には焦りの「あ」の字もなかった。
「(エリク )モンバエルツ監督のもとでチームのベースは出来上がっていましたから、最初数試合は出られないかもなとは覚悟していました。でもオフからしっかり準備してきたので、いずれは(チャンスが来る)と思っていましたから。苦しかった前年に比べれば何ともないし、人どうこうというよりも自分次第。地道にアピールを続けていて、みんなの信頼を少しずつつかんでいけばいいという思いでした」
先発と途中出場を繰り返すなか、ターニングポイントになったのが第14節、ホームでの川崎フロンターレ戦(6月4日)だった。中町と初めてコンビを組み、相手のパスワークを分断した。左足からのレンジを変える長短のパスでチャンスを生み出した。
出足が鋭く、球際に強い。タフなファイターと化した。
「僕自身、球際が強くなったというよりは、ポジショニングが良くなったから一歩前で競れるようになったり、出足が良くなったかなとは思います。考えることはまず危険なところを一番に消す、危険なゾーンはタイトに行く。ユージさんはリスク管理を怠らないし、周りに声を掛けて守りやすい状況をつくってくれる。中盤はそれを理解して、常に準備しておく必要がありました」
以降は先発に定着。プレーでもチームメイトの信頼を勝ち取り、「地道なアピール」が実を結んだ。
移籍2年目はより明確にチームのタイトルを意識するようになる。
しかしながら――。
アンジェ監督が授ける攻撃的スタイルへの転化は時間を要した。内容は悪くなくとも、結果が伴わない、下位から抜け出せない。キャプテンマークは重かった。だが引き受けた以上はやり切らなければならない。伝統あるこのクラブをJ2に落としちゃいけない。ガムシャラに戦うしかなかった。
彼は昨年をこう振り返る。
「苦しい1年でしたね。いいサッカーはできていても、勝ち切れない試合が本当に多くて……。僕自身、試合に出させてもらっているなかで責任は感じていました。それでも監督もみんなも僕も、ブレないで、やろうとするサッカーを突き詰めていこうとしました。
だからシーズンが終わった後、気持ちが凄く楽になったというか。凄く気持ちが張り詰めていたんだなとは思いました。残留で満足しちゃいけないことは分かっています。残留してホッとしたというよりも、ブレずに我慢してこのサッカーを次のシーズンにつなげられたという安堵感のほうが強かった」
準優勝に終わったルヴァンカップの悔しさも残った。2年目の自分にキャプテンマークを託してくれたアンジェ監督、そしてチームメイトの信頼に応えたいという気持ちは一層強くなっていた。
いざ3年目――。3人制キャプテンの一人に指名された。さらにヤル気のネジを巻こうとする彼がいた。
前年とは違い、ベンチスタートが多くなった。
だがいつも前向きで、明るくて。
彼は誤解していることが一つあった。指揮官が、昨年なぜゲームキャプテンに任命したのかを。
「ポジション的に中央でプレーしているし、声も出すほうだからじゃないですかね」
その答えは今季2度目の先発で、4-1で勝利に貢献したホームのヴィッセル神戸戦(5月18日)にあった。アンジェ監督は試合後の会見でこう語っている。
「扇原は練習でもルヴァンカップでも常にハードワークをこなし、ここにいるぞというアピールをしてくれていました」――。
ベクトルはいつもチームにある。それも力を入れず、自然体に。指揮官は何よりこの点を評価していた。
彼は言う。
「腐ることなんてないですよ。たとえ出られなくてもキャプテンに指名してもらっているわけだし、チームのことを一番先に考えます。強いチームというのは出ていない選手でもいい雰囲気でやれている。明るく振る舞って、練習はひたむきに頑張る。勇蔵さんも大津(祐樹)くんも純も僕も……みんなそう。年齢が上の選手がそうやっていたら、下の選手も自然とそうなる。F・マリノスはそういう選手ばっかりやし、みんな真面目やし、いい雰囲気で毎日、練習できていると思います」
何気なく、チームを救っている。
プレーを見てもそうだ。4月13日、ホームでの名古屋グランパス戦だった。終盤に投入され、迎えた後半アディショナルタイム。ビルドアップのところでボールを奪われ、長谷川アーリアジャスールからジョーにラストパスが送られた瞬間、後ろから追いかけてきた扇原が猛然と滑り込んでシュートを防いでいる。決定機を防いだファインプレーであった。この日の出場時間はわずか9分。心身における日頃の準備が、このワンシーンに凝縮されていた。
5月31日のアウェー、湘南ベルマーレ戦で右ひざを負傷して全治6週間と診断されながらも、リハビリに励んで前倒しでチームに戻ってきた。7月13日のホーム、浦和レッズ戦で先発復帰。走り、闘う背番号6はやはり頼もしい。
明るく、力強く、頼もしく――。
F・マリノスのために真摯に働こうとする、その根源にあるものは一体、何なのか。
頷くようにして、彼は胸の思いを吐き出した。
「やっぱり優勝したい。僕にとって、このチームでタイトル取ることが一番なんです。ここにはうまい選手がたくさんいる。だから僕は闘うところで闘い、走るところで走り、気持ちを出す。ここを大事にしたい。たとえ試合に出なくても、やるべきことはあると思っていますから。
F・マリノスは僕が苦しいときにオファーしてくれたクラブ。サポーターも去年あれだけ勝てなくてもブーイングを飛ばさなかった。〝ブーイングしてくれよ〟って思いましたよ、正直。でもみんなグッとこらえてくれた。自分を犠牲にしてでも、このクラブのためにという気持ちは僕のなかで強いです」
みんなと喜びを分かち合う瞬間が訪れることを信じて――。
いい雰囲気の中心に、いつも何気なく、さりげなくタカがいる。
二宮寿朗Toshio Ninomiya
1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当。'06年に退社し「Number」編集部を経て独立。著書には『岡田武史というリーダー 理想を説き、現実を戦う超マネジメント』(ベスト新書)、『闘争人~松田直樹物語』(三栄書房)、『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『サッカー日本代表勝つ準備』(北條聡氏との共著、実業之日本社)がある。現在、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)を連載