壁が目の前にあらわれたら、いかにして登るかをその人は考える。
頑丈なものを無理に打ち壊そうとしても、はね返されるだけ。ハンマーではなく、ロープを手にして壁の特徴に合わせて、時間を掛けながら乗り越えようとする。
自分を見る、状況を知る、環境に合わせる。
ケガがあっても、不遇があっても自分を見失うことなく、ロープを両手でぎゅっと握り絞めて、壁を見上げて力いっぱい登ることができる。29歳、大津祐樹はそうやってサッカー人生を歩んできた。
2018年シーズン、彼は横浜にやってきた。
ドイツ、オランダを経て柏レイソルに復帰して3シーズンを過ごした。「人生的にも年齢的にもトライしたい気持ち」が初の国内移籍へと背中を押した。
新体制発表会見の席上、サポーターの前で彼はこう語っている。
「今年、大きなチャレンジをしようと心に決めていました。その中でオファーをいただいたことで、レイソルを出ようと決意しました」
自分を奮い立たせるように、強い口調で。
ドイツのボルシアMGでは出場機会に恵まれず、移籍したオランダのVVVフェンロでは2部降格を味わい、2年目に右足アキレス腱断裂の大ケガを負った。クラブの財政事情もあって柏に復帰したものの、十分な結果を残せたわけではなかった。
大きなチャレンジ――。
だが1月の石垣島キャンプで、いきなりケガに見舞われてしまう。左ひざ内側側副じん帯損傷で全治4~6週と診断された。
ショックな通告には変わりないが、壁には慣れている。やるべきことは何か、頭にあったのはそれだけだった。大津はこう振り返る。
「ケガは時間が経てば治ります。復帰したときにすぐチームにフィットできるようにするために、どうしていこうかと考えながら過ごしました。ネガティブにならず、ポジティブに保つことが大切ですから。気持ちをプラスに持っていくメンタルのコントロールは年齢を重ねるたびに良くなっているかなとは思いますね。若いころは試合に出られないときに、腐ってしまいそうな自分もいました。今ならどんな状況であっても、チームのために自分がどうすれば貢献できるのかを考えます」
アンジェ・ポステコグルー監督の攻撃的なサッカーを頭に落とし込み、このなかで自分が貢献できることを考えていく。攻撃を「回していく」ためには走力、ポジショニング、連係に焦点を当て、イメージを膨らませていく。自分がどうプレーしたいかではなく、あくまでこのサッカーに自分がどう合わせていけるのか、だ。
「個人の色というのは大事だとは思います。でもそれは要所で出せばいいことですから、チームがやりたいことを優先します。監督から求められること、勝利に貢献できることを優先したうえで、自分なりの色をつけていけばいいと思うので」
若手時代に、レイソルのレジェンドである北島秀朗からこう言われたことがあるという。
「選手というのはケガやいろんなことがあってプレースタイルは変わっていくもの。それに対応していかなきゃいけない」
当時はピンと来なかった意味が、今は痛いほどよく分かる。
「自分がこれだと思うものと監督が求めるものが違った場合、僕は監督に合わせます。それでも自分を貫くスタイルを別に間違っているとも思いません。それは人それぞれですから。ただ、僕は〝そっち派〟じゃないということ。自分のプレースタイルを変えることに何の抵抗もないし、それが進化につながると思っていますから」
彼はそう言って口元を引き締めた。
F・マリノスデビューとなったのが3月31日、第5節アウェーの清水エスパルス戦。
大津はトップ下で先発すると、新しい自分を見せつけることになる。攻守にダイナミックな走りを見せ、タフに、あきらめずにボールに食らいつこうとする。チームをうまく循環させるためのプレーを、体現しようとする。ケガに左右されることなく、しっかりと準備を施した成果が存分に詰まっていた。
チームを機能させるハードワーカーが変化と覚悟を示すには、その1試合で十分だった。
以降も先発、途中出場とあらゆるニーズに応えていく。ポジションも与えられるならどこでもやった。そして9月1日の第25節、ホームでのレイソル戦で途中から右のインサイドハーフに回ると、ハマり役となる。自分がこのチームに貢献できるプレーを考えに考えて、指揮官の要求に応えていった先に、たどり着いたポジションでもあった。
壁は、成長のタネ。
小さい頃からそうだった。中学2年までは体が小さく、よく当たり負けしていたという。鹿島アントラーズのジュニアユースからユースに昇格できなかった過去もある。東京・成立学園では寮のグラウンドで自主練習の日々。自分で自分の背中をポジティブに押し続けて、成長を呼んできた。
「大きい人に勝つためにはどうしたらいいんだろうって、ずっと考えていましたよ。相手が当たるだろうと思う前に自分の体を当てれば、タイミングがずれて勝つことができる。今でも体に染みついているから、そういった部分が出せると思うんです」
大きな壁となったのがVVVフェンロ時代に見舞われた右足アキレス腱断裂のケガだ。長期離脱を強いられ、絶望感も味わった。だが同時に、「自分にとってサッカーが大切なもの」とあらためて実感できた。
ネガティブな大きな事象にも、ポジティブな要素を見いだそうとする。
「毎日あるものが急になくなるという感覚は、今までで初めてでした。サッカーをやれる有難さだったり、サッカー選手であることへの感謝だったりを感じることができたという部分は、自分にとって非常に大きかった」
一つひとつの壁を乗り越えて、今の大津祐樹がある。
2019年シーズン、彼はレギュラーを手にしているわけではない。これも、壁。越えるための答えを導き出そうとする彼がいる。
3月6日、ニッパツ三ツ沢球技場で行われたルヴァンカップグループステージ、コンサドーレ札幌戦。後半11分、三好康児がドリブルで持ち上がると大津は猛然と前に向かい、李忠成からのラストパスを流し込んでゴールを奪った。
「去年、一とおりやってみて、うしろに重心を掛けている部分がありました。それ自体、いいことだとは思うんですけど、もう1つアクセントを加えるとしたら攻撃で今まで自分がやってきたことをより高い、得点に絡める位置でプレーできれば、もう1つ上にいけるんじゃないか、と思っています」
今までの仕事をこなしたうえで、ゴールに絡んでいく。その決意をプレーで表明するゲームとした。
立ち止まらず、変化を怖れず。いや、その感覚は「大きなチャレンジ」に踏み切ったからこそ、これまで以上に迷うことなくアクセルを踏めているのかもしれない。
「移籍を挟むと、いろんな考え方、見え方が自分に生まれてきます。今まで正解だと思っていたことが正解じゃなかったり、逆に正解じゃなかったものが、今度は正解だったり……何が言いたいかって、サッカー自体に正解も不正解もないじゃないですか。ただ、そのときに個人にとってもチームにとっても〝いいもの〟であったら、間違いなく〝いいもの〟だと言える。今はそういう考え方です」
チームにとって〝いいもの〟を己の〝いいもの〟とする。
壁を乗り越える、彼なりのコツなのかもしれない。
「自分のサッカー人生、うまくいったことはないと思っています。周りからは〝うまくいっている〟と言われたこともありますけど、自分ではまったく違う。でも壁があるから、成長できる。乗り越えるために何をすればいいかを考える。それはこれから先も変わらない」
貴方にとって、壁とは?
答えはすぐに返ってきた。
「乗り越えなきゃいけないものですね。壁があることで、こうやって強くなっている自分がいますから」
乗り越えられなかった壁などない。
ロープを一度つかんだら、離すことなどない。
柔軟に、かつ、その意志は強く。
身も心もハガネ色に染め上がった覚悟のプレーには、壁を乗り越えた分の凄みが散りばめられている。
二宮寿朗Toshio Ninomiya
1972年愛媛県生まれ。日本大学法学部卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当。'06年に退社し「Number」編集部を経て独立。著書には『岡田武史というリーダー 理想を説き、現実を戦う超マネジメント』(ベスト新書)、『闘争人~松田直樹物語』(三栄書房)、『松田直樹を忘れない』(三栄書房)、『サッカー日本代表勝つ準備』(北條聡氏との共著、実業之日本社)がある。現在、Number WEBにて「サムライブル―の原材料」、スポーツ報知にて「週刊文蹴」(毎週金曜日)を連載