アンジェ ポステコグルー監督が、スコティッシュ プレミアシップ(スコットランドの最上位リーグ)に所属するセルティックFC(スコットランド)より監督就任のオファーを受けました。監督、クラブ間での協議を重ねた結果、クラブとしてポステコグルー監督の意志を尊重して双方合意のもと、シーズン途中ではありますが横浜F・マリノスの監督を退任し、セルティックFCの監督に就任することが決定いたしました。
クラブは、横浜F・マリノスを支え、新たな歴史を築き、多くの功績を残されたことに感謝をするとともに、ポステコグルー監督の新たな挑戦をファミリーとしてサポートしたいと思います。クラブを離れてもポステコグルー監督は、マリノスファミリーの一員であり、F・マリノスの将来を見守ってくださいます。
13日(日)のJリーグYBCルヴァンカップ プレーオフステージ 第2戦 北海道コンサドーレ札幌戦(17:00キックオフ/ニッパツ三ツ沢球技場)からは、F・マリノススポーツクラブ・アカデミーグループダイレクターであり、Jエリートリーグで指揮を執っている松永英機氏が監督として暫定的に指揮を執ります。なお、後任につきましては決まり次第お知らせいたします。
1965年8月27日(55歳)
オーストラリア
FFA Pro License
1984年~1993年 サウス・メルボルンFC
1994年-1996年 | サウス・メルボルンFC アシスタントコーチ |
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1996年-2000年 | サウス・メルボルンFC 監督 |
2000年-2007年 | オーストラリア ナショナルユースU17&U20 コーチ |
2001年-2004年 | オーストラリア ナショナルチーム(Socceroos)アシスタントコーチ |
2004年 | オーストラリア オリンピックチーム コーチングスタッフ |
2008年-2009年 | パナハイキFC(ギリシャ) 監督 |
2009年-2012年 | ブリスベン・ロアーFC 監督 |
2012年-2013年 | メルボルン・ヴィクトリーFC 監督 |
2013年-2017年 | オーストラリア ナショナルチーム(Socceroos)監督 |
2018年-2021年 | 横浜F・マリノス監督 |
マリノスファミリーの皆さんへ
皆さんにお知らせすることがあります。
残念なことに、お別れをする時がきました。
横浜F・マリノスの監督になり3年半が経ちますが、新たな挑戦に踏み出すことを決断しました。
横浜F・マリノスに関わるすべての人たちに対し、言葉では表すことのできない感謝の気持ちを持っています。
クラブスタッフ、チームスタッフの皆さん、選手たち、そしてこの国で最も情熱的なファン・サポーターの皆さんから、世界中のどの監督もがうらやむような厚いサポートをいただきました。
私が監督に就任した際、横浜F・マリノスを日本中で誰もが話題にするようなチームにするというビジョンをお話ししました。成功をもたらすことはもちろんですが、皆さんがクラブを誇りに思えるようなサッカーを実現したいという想いでした。
多くの困難があり、その道のりは決して簡単なものではありませんでしたが、我々は特別なことを成し遂げられるということを信じ続けました。多くの特別な瞬間がありましたが、2019シーズンのJリーグ制覇を上回るものはありません。あの日産スタジアムでの最終戦は、いつも私の心の中にあり続けます。
ファン・サポーターの皆さんをワクワクさせることができたことも誇りです。妥協を許さずに常に成長を求め、素晴らしいサッカーを見せることができました。選手が日本代表に選出されたことや、夢を追い求め欧州にチャレンジする選手がいたりと、多くのことを成し遂げてきました。
コロナ禍で、ファン・サポーターの皆さんの大歓声をスタジアムで聞けなかったことは寂しかったですが、様々な制限がありながらもチームを応援する気持ちは伝わっていました。
私と私の家族を代表して、チームスタッフ、選手、素晴らしいファン・サポーターの皆さんに感謝をお伝えします。
ありがとう。
私は離れても、マリノスファミリーの一員ですし、皆さんは常に私と私の家族の中にあり続けます。
Forever F.Marinos
ボスより
この度、アンジェ ポステコグルー監督が横浜F・マリノスの監督を双方合意のもと退任し、セルティックFCの監督に就任することになりました。
2018年に横浜F・マリノスの監督に就任以来、ハイプレス、ハイラインに代表される「アタッキング・フットボール」をチームに浸透させ、Jリーグにて「超攻撃的サッカー」を表現しました。2019年に、15年ぶりとなるリーグ優勝をもたらしたことは、ファン・サポーターをはじめ、横浜F・マリノスに関わるすべての方々を幸せにしてくれました。2020年は、AFCチャンピオンズリーグにて、クラブ史上初となる決勝トーナメントに進出。2021年は、現時点でリーグ戦16試合を消化して3位と首位を追っています。
これまでクラブに関わった方々、歴史、文化をリスペクトし、パスを受け取ったポステコグルー監督が手腕を発揮した3年半で、本当に魅力のあるクラブになりました。今季、タイトル獲得を目指すチームにとって、シーズン途中の退任は大きな痛手です。しかし、リーグ優勝を51回数える欧州の名門クラブから届いたオファーに「挑戦したい」というポステコグルー監督の想いを受け止めて送り出すことが、横浜F・マリノスがクラブとしてできる最大の敬意だと考えました。
ポステコグルー監督がチャレンジし作り上げ、結果を残した魅力ある「アタッキング・フットボール」をこれからも継続し、皆さまに夢と感動と笑顔をお届けするチームを目指していきます。ファン・サポーター、スポンサーの皆さま、関係各位には、今回のポステコグルー監督の決断とクラブの判断をご理解いただければ幸いです。
1963年2月8日(58歳)
静岡県/静岡学園高校 ― 大阪商業大学
日本サッカー協会S級ライセンス
1984年~1991年 松下電器産業サッカー部
1989年-1992年 | 松下電器 コーチ |
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1993年-1994年 | ガンバ大阪 トップ・サテライト・ユースコーチ |
1994年 | 日本サッカー協会強化委員 |
1996年 | アトランタオリンピックプロジェクトチーム |
1997年 | ヴェルディ川崎 トップ・サテライト・ユースコーチ |
1998年 | ヴェルディ川崎 テクニカルグループ |
1999年 | ヴェルディ川崎 監督 |
2000年-2001年 | 清水エスパルス 強化担当 |
2002年 | 清水エスパルス サテライト監督 |
2003年-2004年 | ヴァンフォーレ甲府 監督 |
2005年 | ヴィッセル神戸 監督 |
2006年 | 佐川印刷SC 監督 |
2007年 | FC岐阜 ヘッドコーチ |
2007年-2009年 | FC岐阜 監督 |
2010年-2012年 | 名古屋グランパス 育成普及部テクニカルダイレクター |
2013年-2014年 | FC岐阜 統括副本部長兼チーム統括部長 |
2015年 | 名古屋グランパス チーム統括部テクニカルダイレクター |
2016年-2018年 | Jリーグ 育成ダイレクター |
2019年- | 横浜F・マリノス アカデミーダイレクター |