運命の最終節決戦に、ボルテージは上がる。
横浜F・マリノスの波戸康広アンバサダーも、FC東京の石川直宏クラブコミュニケーターも。ピッチの中でクラブに尽くしてきた人は、今ピッチの外からクラブを支えている人になった。つまりは自分たちのクラブのことを中からも外からも知り尽くす存在。
トークバトルの後半は現役時代の思い出やアンバサダー、クラブコミュニケーターの仕事について語り合います。では後半戦、キックオフ!
Text by 二宮寿朗
波戸 ナオがF・マリノスユースから昇格したのが2000年だったよね。そこから一緒に2年ちょっとかな。一番の思い出って何かと言ったら、お互いにヘルニアを抱えていてリハビリを一緒にしていたこと。励まし合いながらやっていたなあ。
石川 僕の、波戸さんの第一印象は凄いですよ。
波戸 えっ何?
石川 高3の日本クラブユース選手権でひざを痛めて10月に手術して、リハビリしていたんです。ボールを蹴れるようになって波戸さんとトレーナーと3人でボールを蹴ったときに、波戸さんのボールの軌道がスパーンときれいで。ああ、プロってこうなんだなって衝撃を受けたんですよ。だから俺も、変なところに蹴らないようにってすごく緊張しながら蹴った思い出がありますね。
波戸 ごめん、まったく覚えてない(笑)。
石川 いいです、いいです(笑)。
波戸 でもナオみたいに仕掛けるアタッカータイプは当時のウチにはいなかったし、ワールドユース(現U-20ワールドカップ)の活躍もあってクラブの将来を担う選手になるなって思っていたよ。
石川 ありがとうございます。2001年にいくつかポジションが空いて、僕を含めて若い選手がチャンスをもらったんですよね。でもチームは低迷して残留争いで苦しみました。
波戸 確かにあのときは本当に苦しかった。ナオが移籍したのはその翌年だっけ?
石川 そうです。紅白戦にも出られず、クラブに「環境を変えたい」と申し出て……。そのときに東京からオファーが来て、急きょ(期限付き)移籍が決まったんです。だからほぼ誰にも相談していない。
波戸 びっくりしたもん、かなり。
石川 移籍が決まったとき、練習が始まっても着替えてないから波戸さんから「何してんの?早く着替えろよ」って言われたことも覚えています。それで「実は……」って話をして。
波戸 えっ、それも覚えてない(苦笑)。
石川 トップチームで活躍する絵を自分でも描いていたんですけれど、〝このままじゃマズい〟って危機感しかなかった。東京で活躍して、ひと回り成長してからF・マリノスに帰ってこなきゃ、とそのときは思っていました。
波戸 帰ってこなかったけど(笑)。
石川 そうですね(笑)。結局、ユキさん(佐藤由紀彦)とトレードみたいな形になりましたよね。F・マリノスは2003、2004年とリーグ2連覇していて、僕のなかではF・マリノスにもユキさんにも絶対負けたくないって思って(練習に)取り組んでいましたし、この気持ちもあって自分のレベルも上がっていったのかなって思います。
波戸 FC東京でも自分のプレースタイルを貫いて、みんなに認めさせていったよね。なかなかできることじゃないよ。
石川 波戸さんのこと、もう1つ言っていいですか?
波戸 えっ、俺が忘れていること、まだ何かあった?
石川 いやいや。波戸さんは普段すっごく優しいんですよ。リハビリのときだってそう。でもサッカーになると結構、怖かった(笑)。
波戸 まあ確かにサッカーするときはピリピリしていたね、いつも。特にあのころのF・マリノスは個性派ぞろいで、日本代表クラスもゴロゴロいて、ナヨナヨしていたら張り合えないから。ピリピリする自分を敢えてつくっていたのかな。
石川 だからアンバサダーになって「普段の波戸さん」だなって思って見ていました。
波戸 うん。現場から離れて(クラブを)サポートする立場のほうが俺には合っているなって思う。アンバサダーになって8年目だけど、凄くこの仕事にやりがいを感じている。
石川 元々、F・マリノスにアンバサダーってあったんですか?
波戸 いや、こういうポジションはなかったはず。だから最初は各セクションとどういうことをやっていけばいいかって手探りのところから始まって、社員やスタッフのみんなと一緒になってこの役割を築き上げた感じかな。育成のフォローやスポンサーさんとの交流とか、仕事はいろいろとやらせてもらっているけど、根本にはクラブの認知度を高めていきたいというのがある。
石川 だから将棋とか違う分野にも積極的にアクションを起こしているんですね。
波戸 そうそう。最近だとゴルフとか。新しいファン層を開拓していくには、そういったところにも出ていってF・マリノスの魅力を知ってもらおうと思っている。自分がやれることで、クラブに貢献できればいいかなって。
石川 僕もそうです。引退するときにこのクラブで自分がやれること、自分にしかやれないことって何だろうって考えて社長に相談したら、この役職をいただいたんです。僕はまず現場しか知らなかったから、各セクションの仕事を知ることから始めました。このあたりも波戸さんと一緒ですよね。
波戸 クラブコミュニケーターは、現場のほうにも関わっているんでしょ?
石川 はい。J1もJ3も行けるときは全部行きますよ。チームのことだけじゃなくて広報や運営の仕事も学びながら。
波戸 やりがいありそうだね。
石川 もちろん!地域や社会との連携というところも含めて。でもこの仕事って結局は人と人のつながりが大事っていうところがありますよね。
波戸 ナオの言うとおり。そのつながりを大切にしていくのはアンバサダーもクラブコミュニケーターも同じだよね。
石川 引退して各クラブに我々みたいな役割の人、増えてきているじゃないですか。河合竜二さん(北海道コンサドーレ札幌C.R.C)、石原克哉さん(ヴァンフォーレ甲府アンバサダー)はじめ、いろんな方が。そういう人で集まれる機会とかあればうれしいですよね。波戸くん、お願いしますよ。
波戸 ちょっと前に、こういった役職の人のグループLINEをつくったのよ、情報交換しましょうって。でもいつの間にか自然消滅しちゃったね(笑)。ナオとか若い人も増えてきているし、ぜひぜひそういう機会をつくりたいね。
石川 長い間、同じクラブに在籍したらこういう役割もあるよってなったら、それを目指す人も出てくると思うんですよね。
波戸 本当にそうだと思う。じゃあそのことは後で2人で話をするとして、トークバトルを締めくくりたいと思います。横浜F・マリノスとFC東京。Jリーグにはいろんなダービーがあったりするけど、将来的にどうなっていけばいいと思う?
石川 個人的な思いとしてあるのは「ナショナル・ダービー」ですかね。首都圏の大都市にあるクラブですから。今、東京はタイトル自体少ないですけど、積み上げていってF・マリノスとの試合がそう呼ばれるようになったら感無量です、僕としては。
波戸 「ナショナル・ダービー」かあ。何か夢があるなあ(笑)。そう呼ばれるためにもF・マリノスも頑張らなきゃいけない。まずは最終節に勝つことだけど(笑)。
石川 それはこちらも(笑)。両者のストロングが出る面白い試合になればいいですね。
波戸 じゃあ試合当日、また再会できることを楽しみにしているよ。
石川 僕も最終節、楽しみで仕方がありません。
波戸康広(はと・やすひろ)
1976年5月4日生まれ、兵庫県出身。
1995年に横浜フリューゲルスに入団し、2001年には日本代表に初招集された。横浜F・マリノスではおもにDFとして活躍し、Jリーグ通算356試合に出場。現役引退した翌2012年からアンバサダーに就任している。
石川直宏(いしかわ・なおひろ)
1981年5月12日生まれ、神奈川県出身。
2000年に横浜F・マリノスユースからトップチームへ昇格。3年後にFC東京へ完全移籍すると、同年12月には日本代表初出場。おもにMFとしてJリーグ通算316試合に出場した。現役を引退した翌2018年からクラブコミュニケーターに就任。