まりびと:喜田拓也
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Text by 二宮寿朗


 2024年シーズン、トップチームは荒波のなかにいる。現行制度になって初めて決勝進出を果たしたアジアチャンピオンズリーグ(ACL)は準優勝に終わり、過密日程のJ1では2008年以来となる4連敗を喫して順位を13位にまで下げた。今季監督に就任したハリー キューウェルの契約解除に伴い、暫定的に指揮を執るジョン ハッチンソンのもとチームは復調気配を見せつつある。主将として6年目を迎えている喜田拓也は激動の航路をどう辿り、リーダーとしてどう感じてきているのか――。


 喜田拓也は、体に異変を感じていた。
 アルアイン(UAE)を日産スタジアムに迎えるACL決勝第1戦(5月11日)の試合前日のことだった。
「朝、体調が優れないなとは感じていたんです。翌日にアルアインとの試合に向けた練習もフルでやり切りました。ただ、朝は〝ちょっとおかしい〟くらいだった感覚が、練習後は〝明らかにおかしい〟になっていて、自宅に戻ってからはご飯も喉を通らなくなっていましたね」
 夕方から発熱の症状が出て、夜には嘔吐もした。思いもしなかった突然の体調不良に対して、冷静を失わず静養に努めることにした。カラダを休めつつ、出来ることはやっておこうと頭では試合のイメージを膨らませた。
 翌朝、コンディションを心配するチーム側から連絡が入った。状況を説明したうえで、こう伝えている。
「戦う準備はできています。使う、使わないは監督の判断ですから、もちろん尊重します」
 チームに合流してハリー キューウェル監督と話し合い、あらためてチームドクターの診察も受けたうえで、GOサインが出る。ロッカールームでは当初副キャプテン、松原健のユニフォームの上に黄色のキャプテンマークが置かれていた。すなわちギリギリになって喜田の出場が決まったのだった。

「コンディション的にどうこうとかなくて、〝絶対にやれる〟としか思っていない。自分で自分を洗脳するとでも言うんですかね。ピッチに立ったら一切そんな言い訳できないし、弱みを見せている場合でもない。しっかりと自分の責任を果たさなきゃっていう、その思いしかなかった」
 主力で出場してきたACLのここ2大会はベスト16止まりに終わっている。アジア制覇への思いは、誰よりも強いものを抱いてきた。

 喜田は毅然とピッチに立った。
 アルアインに先制を許しながらも、F・マリノスが攻め立てていく。前半34分には中盤の底から前に出ていき、ヤン マテウスからのパスをワンタッチでシュートを打ち抜くもGKに阻まれる。前日にコンディション不良だったとは感じさせないプレーぶりであった。
 体調面を考慮されて後半15分に交代したものの、ベンチに下がっても勝利をつかむために戦っていた。チームメイトを鼓舞するだけでなく、ピッチに入っていく山根陸、榊原彗悟には自分の考えを伝えている。
「プレーする彼らの判断を尊重するのが前提として、自分が実際にプレーしてみて感じたこと、時間帯、試合状況を含めてこうしたほうがいいと思ったことを共有しただけ。勝つためにできることはすべてやっておきたかった。ACL決勝は初めてだとしても、これまで経験させてもらったうえで慌てるのが一番ダメだと思っていました。(リードされても)みんな落ち着いてやれたのはやっぱり経験則があったから。それに何よりスタジアムの雰囲気が凄かった。いけるんじゃないかっていう気にさせてもらえました」
 5万3704人の大観衆に背中を押されるように2点を挙げての逆転勝ち。次に弾みをつける形でファーストレグを終えた。コンディション不良もどこかに吹き飛ばした。

写真:ACL2023/24 決勝第2戦。喜田のロッカー。

 アウェイに移動して臨む運命の第2戦は2週間後だった。喜田は体調をしっかりと回復させて、当日を迎えている。1戦目に勝ったとはいえ、受けて戦うつもりなどなかった。アルアインが裏のスペースにボールを送り込んで、前線の「個」を活かそうとする狙いも想定はしていた。
「彼らがホームでは別のチームになることも、そういう戦いをしてくるのもみんな頭のなかに入っていたと思います。相手がクオリティを一段階、引き上げてくるなかで自分たちがどう対応できるかが大切になってくる、と」
 2点をリードされながらもヤン マテウスのゴールで1-2に。2戦合計で同点とし、まさにここからが勝負。しかし前半終了間際にポープ ウィリアムの退場もあって1人少なくなると後半は劣勢を強いられ、結局は3点を追加されて大敗を喫した。
 後半18分に交代して、第1戦と同じようにベンチでもチームを奮い立たせようと声を張り上げていた喜田も無念の結果に呆然と立ち尽くすしかなかった。

 ACLのタイトルに身も心も注ぎ込んできた分、反動が喜田を襲うことになる。悔しいという感情すら超えていた。心のなかが、空っぽになった。
 そのときの気持ちを思い起こすように、呼吸を整えてから彼は言った。
「全然(敗北を)受け入れられなかったですね。帰りのチャーター機のなかで、一睡もできなかった。というか、食事もできない。食べたくもないっていう状態でした。動画とかを見るわけでもなくて、ほかのことを何かしようとも思わない。本当に、空っぽ。心にあったのは、”なぜ勝てなかったんだろう〟って、もうそれしかなかった」

 力が湧いてこない。
 気持ちが切り替わらない。
 ぽっかりと空いた穴が塞がらない。
 そんな自分を客観的に眺めるもう一人の自分がいた。沈み切ろうとする自分にドンドンドンとノックする自分がいた。このままでいいわけがない。帰国して中2日で、柏レイソルとの試合が待ち受けていた。
 無理やりでも前に向くしかない。ショックを受けているのはチームメイトも同じ。喜田は急きょ選手ミーティングを開くことにした。
「移動もあったので練習は実質、試合前日だけ。体のケアを含めて各々やることがいっぱいあるので、(ミーティングをやるかどうかは)迷っていたんです。でも選手もそうですけど、クラブ全体で足を止めないで前に進んでいくには、やっぱり必要だと判断しました。みんなの表情、行動を見ていてもダメージがあるのは一目瞭然。別に自分の思いを伝えたいとかは一切なくて、みんなの思いを共有することが何より大事だと考えました。そういう時間を持ってベクトルが一つになれば必ずこのチームはやれるって感じていました。恐ろしいほどの過密日程のなか、それでもやるしかないよなって、そこも共有できたんじゃないですかね」

 5月29日、日産スタジアム。
 ACLでの悔しさを糧にしようと呼び掛けるようなスタンドの声をキャプテンは背中で感じていた。試合前、J1通算250試合出場のセレモニーが行なわれた。プレゼンターは家族や知人ではなく、プライマリーに所属する育成組織の子供たち。実は喜田が希望して実現したものだった。

「これまで家族や恩師に来てもらって、250試合は誰にお願いすればいいかなって考えたときに、プライマリーが頭に浮かんだんです。自分自身、その時代にトップチームへの憧れを持って歩んできた人生があって、僕が憧れになれているかどうかはさておきプレゼンターの立場でピッチからの景色やトップチームの選手たちを間近で目にすれば、何か感じるものがあるんじゃないか、と。もし自分が逆の立場だったら、相当うれしいんじゃないかとも考えましたから」
 緊張の色を隠さないプライマリーの選手から花束を受け取り、その場で記念撮影を行なった。昔の自分をどこか思い出すようで、横浜F・マリノスの伝統をあらためて感じることができたようで。自分にネジを巻けるひとときとなった。ACLのタイトルを獲れなかったと下を向いていては先輩として示しがつかない。このクラブにかかわるすべての人から、励まされているような気がした。
 レイソルには4-0と快勝。しかしながら息を吹き返すには至らない。超過密日程がチームにとって大きな負担となったのは言うまでもなく、6月15日の首位・FC町田ゼルビア戦(日産スタジアム)は先制しながらも3点を奪われての逆転負け。試合後にはブーイングまで飛んだ。
 6月26日のアウェイ、アビスパ福岡戦を1-2で落とすと、7月6日のアウェイ、ガンバ大阪戦まで16年ぶりとなる4連敗。ガンバには0-4と大差をつけられて、ショックの大きい敗戦ともなった。
 試合後、選手たちを連れてゴール裏に向かうと、ブーイングはなかった。一礼してサッと引き上げるのではなく、彼はじっとファン・サポーターを見渡していた。
 アルアインに敗れて呆然と立ち尽くしたあのときとは意味合いが違っていた。ファン・サポーターの思いを心に刻もうとしての行動だった。チームメイトも皆、キャプテンと同じようにゴール裏にただただ目を向けていた。

「4連敗になって、それも恥ずかしいスコアで。ファン・サポーターは労力もお金も時間も使って大阪に来て支えてくれているのだから、(心に)刻むだけじゃなくて自分たちのエネルギーにしなきゃいけない。この光景を自分の目に、そしてチームメイトのみんなの目にもしっかりと焼きつけよう、と思ったんです。だからちょっと時間を取って、みんなの想いを噛みしめることにしました。みんなだって悔しいわけですから」
 想いの共有――。
 チームのみならず、クラブ、ファン・サポーターもすべて含めて一体となったときこそ、大きなエネルギーが生み出される。あのときもそうだった。アンジェ ポステコグルー体制1年目の2018年シーズン、結果が出なかったときもベクトルを合わせられたから危機を乗り越えて、翌年のJ1制覇につながった。このガンバ戦の屈辱が、点ではなく線としてきっと横浜F・マリノスの未来につながっているはずだと喜田は信じた。

 反転攻勢を誓い、自らアクションを起こしていく。
 ガンバ戦から8日空いた鹿島アントラーズとのホームゲーム(7月14日)。前半12分、エウベルからゴール正面やや左の位置でパスを受け取った喜田はペナルティーエリア前で構えるアンデルソン ロペスに縦パスをつけるかと思いきや、そのまま遠めの位置からミドルシュートを放つ。枠を捉えた一撃はGKに弾かれたものの、ゴールへの確率を考えてパスを選択するのではなく、積極的な姿勢を示すことに意味があった。

「ロペスが要求しているのは分かっていたし、その後に『キーボーの判断だから』と彼も尊重してくれました。時間帯も考えましたよ。ただ、打った一番(の要因)は、チーム全体へのメッセージ。反省しなきゃいけない試合の入りが続いていて、ロッカーでも前に行ったら迷わず打っていこうと、責任を持ってみんなにそのことは伝えていました。集中もそうだし、きょうこそ行くぞじゃないけど、そういう想いもありました」
 足並みはそろっていた。前半に先制点を許すも決してトーンダウンせず、押し返していく気概は伝わってくる。前半終了間際に天野純のゴールで同点に追いつくと、後半に3点を挙げての快勝。喜田はチームトップタイの3本のシュートを放っている。キャプテンのメッセージがチームに伝わったからこその勝ち点3であった。

 ドロ沼に足を突っ込むことなく、遅くないタイミングで浮かんでくるのが横浜F・マリノスの強みとも言える。
 喜田はこう述べる。
「連敗中でも、紙一重のなかにいたという自覚はチームとしてありました。結果ほど内容に差があったかどうかっていうと分からない。でも結果にあらわれているから、自分たちに何か足りないものがあることは理解していた。決め切る、守り切る、やり切る。力づくでその扉をこじ開けないと、いつまでも暗闇のなかにいることになる。シュートの積極性、攻撃にかけるパワーというのはこのチームの良さでもあるので」
 自分たちを見失うことなく、逆にやるべきことも見えていた。こじ開けるにはパワーが必要だと理解もしていた。
この2日後、ハリー キューウェル監督の契約解除とジョン ハッチンソンHCの監督就任が発表された。喜田ら選手たちは離日するキューウェルのもとを訪れ、羽田空港で見送っている。

「半年で監督が交代してしまうっていうこの別れ方は誰も望んでないし、悔しいことではあります。ただそれが絶対に無駄じゃないって思えるようにしなきゃいけない。発見や成果はあったし、逆にできなかったこと、足りなかったこともある。それぞれの立ち場で、そのすべてをクラブの力にしていくことが自分たちには課せられている」
 ハッチンソンのもとチームは調子を上げ、8月24日、国立競技場でのセレッソ大阪戦でも4-0と勝利。一時13位まで下げた順位も6位まで上昇している。ハリーと別れたから結果が出たという認識ではない。ハリーとのすべてのことを力に変えようとするその意志こそが源にあると喜田は感じている。

 喜田拓也イコール、横浜F・マリノスのキャプテン。

 6年連続は中村俊輔と並んで最長期間となっている。チームの先頭に立つ苦労は、想像をはるかに超えるものに違いない。だが彼は「光栄という思いしかない」と言い切る。
「6年目ですけど、務め慣れたみたいに思ったことなんて一度もありません。日々必死に向き合っているし、アップデートしなきゃいけないことも山ほどあります。担うものがどれだけ多くて、どれだけ重くても担っていきたい。確かに大変さ、苦しさも伴いますよ。でも僕から言わせれば、それらすべてをひっくるめて〝幸せ〟という感覚でしかないんです」
 これから先、晴天もあれば荒天もある。先は見通せないとしても、〝偉大なる航路〟への期待感しかない。喜田拓也というキャプテンがいる幸せが、このクラブにはあるのだから。