Text by 二宮寿朗
あの音とあの痛みは、耳と心からこびりついて離れない。
思い出すたびに不安と恐怖がこみ上げ、ちょっとでも気を緩めてしまえば押しつぶされそうになる。ピンと張り詰めた緊張の連続でしかないあまりに細い一本道を、小池龍太は渡り歩いてきた。
破産宣告を受けたベルギーのロケレンから失意のまま横浜F・マリノスに移籍加入して3シーズン目となった2022年は小池にとっては大きな1年となった。日本代表に初選出されてのEAFF E-1選手権出場、J1制覇、Jリーグベストイレブン選出……JFLからはい上がってきた男のシンデレラストーリーは世間から注目を浴びた。
さらなる飛躍を期待された翌年、チームが始動して間もないころだった。練習中に右膝を負傷して「膝蓋骨脱臼」と診断され、手術を余儀なくされる。だがそれは長くなる戦いの始まりにしか過ぎなかった。
小池は落ち着いた口ぶりで当時を振り返る。
「2、3カ月で復帰できるプロセスがあって、そのとおりに進んでいたし、個人的には2カ月ほどで戻れるんじゃないかという感触がありました。優勝した次のシーズンに対する懸ける思いが強くて、焦りもあって少し冷静さを欠いたところはあったのかもしれない。今までどおりちょっと痛くても、ちょっとバランスが崩れてもサッカーをやりながら解決できるんじゃないかっていう思考でしたから。でも結局、それが引き金になってしまった」
22年シーズンもケガを抱えながら、高いパフォーマンスを維持してきた。痛み止めの注射もテーピングも、できることはすべてやったうえで試合に臨んでいた。試合当日の朝に「本当にやれるのか」と自分に問うたこともある。それでもやり切れたという経験が、早期復帰に気持ちを走らせた。
ケガから約2カ月後の3月26日、YBCルヴァンカップ・グループステージのサガン鳥栖戦で23年シーズン初出場を果たし、予定どおり前半のみの出場を終える。ステップを一つ踏んだと思われたが、直後のトレーニングで、これまで感じたことのない痛みが右膝に走った。絶望を知らせる、これまで聞いたことのない音とともに。
「頭はもう真っ白でしたね。サッカー人生で一番の痛み。病院に行って、折れているって聞いた時に、膝のお皿が割れるなんて思ってもいないから、(ピッチに)本当に戻れるのかなって……。膝にソフトボールよりでかいものが入っているみたいに膨れ上がっていましたから」
全治6カ月、再び右ひざにメスを入れた。前回と違って全治見込み後の世界を想像することすらできなかった。
「最初のころは本当に何もできなくて、座っているだけ、寝ているだけ、足を支えてもらって動かされるだけ」の生活だった。リハビリに入ってからも、一歩踏み出すだけであの音とあの痛みがよみがえってきて躊躇させた。焦りが逆に引き金となった反省もある。肉体的にも精神的にも、前に踏み出せない自分がいた。
支えてくれたのは言うまでもなく家族であった。レノファ山口時代に結婚した愛妻と、そして長男、長女が傷ついた小池に優しく寄り添った。
「思い出すと苦しくなります」
パパの顔になった彼はそう言ってしばらく間を置いてから言葉をつむいだ。
「妻はいつもたくさんの食事をつくってくれました。ケガをしているんだから、本当ならそんなにつくらなくてもいいのに、僕のことをいつも気に掛けて……。娘はそのときまだ3歳になる手前で『どうしてパパは今、サッカーできないの?』って不思議そうに聞いてきて、5歳の長男が『パパならまたサッカーができるよ』とか『また一緒に、日産スタジアムのピッチに入ろうね』と言ってきて。家族のおかげで、まだ終われないっていうパワーを凄くもらうことができました。ただ……その気持ちが強くなればなるほどジェットコースターみたいになっていたのも事実でした。そういったことも妻はすべて分かってくれていました」
階段を一つ昇る、降りるだけで痛みが出る日々。希望を膨らませようとすればするほど、快方に向かっていかない苛立ちは失望へと入れ替わる。それでも失意の底に落ちることはなかった。子供たちはパパと一緒に公園に行って遊べなくても我慢していた。子供たちの思いは、痛いほど伝わっていた。
無理をしてすべてを台無しにすることは、絶対に避けなければならなかった。石橋を叩いて渡るようにとにかく慎重に、慎重に。順調に行けば、23年シーズン中の復帰があるとも見られていた。しかし再手術以降はベンチ入りを果たすこともなかった。
「心と体が整っていなかったということだと思います。何か一つ悪いフィーリングが起こると、ジェンガのように崩れ落ちるのは一瞬ですから。なかなか積み上がっていかない、上向いていかない。それでもあきらめるという思いはなかった。ファン・サポーターに向けてACLの最後、頑張って復帰しますと発信しましたけど、結局は無理でした。でもその思いがあったから今年のシーズン頭に復帰できたんじゃないかなっていう気がしています」
一歩ずつ、いや半歩ずつ、いや3分の1歩ずつ。
我慢強く歩を進められたのは、家族はもちろんのこと、歩調を合わせて復帰に取り組むメディカルスタッフ、チームメイトをはじめとするF・マリノスのみんな、そして自分の生還を信じるファン・サポーターたちがいたからだ。
「スタジアムの上から見ると、分かるじゃないですか。ファン・サポーターのみんなはずっと声を出してくれているんだな、応援してくれているんだなって。普段はプレーに集中しているから、試合に出ていればなかなか分からない。出られていない1年間を通して知ったことが、ケガによる一番の収穫だったかもしれない。僕はそう思っています」
希望と失望を上下動するジェットコースターはいつしか高低差を減らして進んでいく。徐々に視界が開けていくなか現実目標としてセットしたのが、2024年4月7日のアウェイ、ヴィッセル神戸戦だった。
リーグ戦で最後に出場したのが、優勝を決めた2022年の最終節であり、同じ相手、同じ場所というのは単に偶然ではなかった。2023年の覇者に勝つことで、チームに弾みをつけたい、自分たちのほうが強いと示したい。自分なりに復帰するならここだと思えてならなかった。
約1年1カ月ぶりのピッチに不安と恐怖感は「メチャメチャあった」。はっきり言えば、コンディション的にまだまだ十分ではなかった。慎重を胸に刻みつつ、それでも一歩踏み出すタイミングは今だと考えた。
後半に途中出場した〝龍太効果〟もあってチームは3試合ぶりに2-1で勝利する。次節、日産スタジアムでのガンバ大阪戦(10日)にも途中からピッチに立ち、ホームの大歓声を背中に浴びた。2連勝を飾ってファン・サポーターと一緒に喜びを味わえたことは言葉で表現できないほどに感慨深かった。
しかしながら――。
実はこれ以降に、一番の大きなヤマがあったことはあまり知られていない。3試合連続で途中出場を果たした後、4月17日のACL準決勝第1戦、アウェイでの蔚山現代戦後に小池は再びチームを離脱することになる。打ち勝ったかに見えた不安と恐怖の壁に悩ましい現実があった。
「このままやっていても難しいかもなって思ったときに、ぐぐっと押し戻されてしまった感じがありました。まだもうちょっと時間を掛けなきゃダメなんだろう、と」
現役時代、ケガに泣かされてきたハリー キューウェル監督と話し合いを重ねたという。指揮官も自分に寄り添ってくれた。話し合いの末に納得できるまでしっかり治す、という結論に至る。とはいえ、やっとここまで持ってきたのに〝振り出し〟に戻った事実は精神的にもかなりこたえた。
暗中模索が続いた。再々手術が必要かもしれないというところまで追い込まれていた。すると失意の底が抜けた気がした。地に足がついた。つまりは吹っ切れた彼がいた。
「変な話、膝が治らなかったら引退しようって思いました。もう後先考えずにリハビリしてみて、もしダメだったらダメだったで、それはハリーにも伝えたし、当然、家族にもケガが治り切らなかったり、自分が納得いかなかったりしたら引退するという話をしました。でもそれで吹っ切れた感じもあったんです。もう1回自分を信じてみようって。それでやりきった結果、どうしようか最後に考えればいいんじゃないかって」
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もう一度丁寧にリハビリをこなしつつ、コンディションとひざの状態を上げていこうとした。一進一退から、また3分の1歩、半歩と進めていく。気の遠くなる作業を、一心不乱にやり続けた。
プランが白紙に戻ったところでジェンガが崩れたわけではなかった。土台がしっかりと積み上がっていたからこそ、修正が効果を発していくことになるのだ。
キューウェル監督が契約解除となり、チームが建て直しを図るなかで小池は順調な回復を見せ、8月21日の天皇杯ラウンド16、V・ファーレン長崎戦で復帰を果たす。9月4日のルヴァンカップ準々決勝第1戦、北海道コンサドーレ札幌戦、さらに9月25日の天皇杯準々決勝、レノファ山口戦など時間を調整しながら徐々に出場機会を増やしていく。懸念されたようなリバウンドはない。前回には持てなかった積み上がっていく感覚を抱くことができた。
「メディカルと話をするなかで、行けるかも、から、ああ行けるね、になって。じゃあもう1個先に行ってみようか、あっ、ここも行けるね、じゃあもう1個先行ってみようよって、もうここからはうまく回っていきましたね」
大きな節目となったのが、10月30日に日産スタジアムで行なわれた浦和レッズ戦である。小池はボランチ、サイドバックとポジションを変えつつ、90分フル出場を果たしたのだ。今シーズン最後まで時間を制限してプレーすることが検討されていた。だが小池自身、もっと時間を延ばせそうだという確かな感触があった。そうすることが不安や恐怖に打ち勝つことにもなるとも考えた。そして何より、過密日程にあるチームの、チームメイトの力になりたかった。ヘッドコーチから昇格したジョン ハッチンソン監督に「90分間、できそうだ」と伝えていた。
「天皇杯の山口戦あたりから正直60分くらいで〝もう終わりか〟っていう感覚になっていて、疲れてもいないし、体力的にも戻っているな、と。元々足をつるようなタイプでもないし、背伸びではなくて、そういう意思表示をしました。そのなかで監督が判断して最後まで残してくれたんだと思います。
サッカー選手として90分間プレーするというのはかなり大きい。チームの負担を考えてもそうだし、交代にも幅を持たせられる。アタッキングフットボールをするうえで、前線の選手たちがいかに選択肢を持てるかは大切ですから。自分が60分で交代枠を使うのは正直もったいないし、チームの助けになるなと思ったので、そういう発言もしました。もちろん自信もありました」
スコアレスドローに終わったが、90分の奮闘ぶりをメディカルスタッフは我が事のように喜んでくれていた。それがたまらなくうれしかった。同時に感謝の気持ちをあらためて強く抱いた。
本人も納得できる小池龍太が、やっと戻ってきた。
次節(11月9日)アウェイでのサガン鳥栖戦はキャプテンマークを巻いて、2試合続けてのフル出場を果たした。0-1で迎えた前半アディショナルタイムには裏にパスを出して西村拓真を走らせ、同点ゴールをアシストしている。
味方にメッセージを伝えるパス。それは小池の持ち味と言っていい。後半31分にはゴール前で待つアンデルソン ロペスの足もとに向けてかなり強めの縦パスを送っている。シュートは相手に阻まれたが、〝お前が試合を決めるんだ〟と言わんばかりだった。
「相手チームからしたら危険人物。彼にボールが入る回数、場所というのは大事にしています。あの場面は僕がシュートを打っても良かったですけど、確かに彼に点を獲らせたいというメッセージ性はありました」
実際、このシーンの4分後、天野純のクロスからロペスの決勝点が生まれている。小池のメッセージが効いていた。
試合は2-1で勝利して、J1残留を決ることになる。優勝争いに絡めず、リーグ戦は低空飛行に終わったシーズンになってしまったが、小池は鳥栖戦の重要性をヒシヒシと感じ、少なからずともプレッシャーを感じていた。
「これまで築き上げてきた歴史を崩すわけにはいかないし、その戦いにキャプテンとして臨むわけですからね。もちろん凄く重圧はありましたが、一方でそれを楽しめる自分もいました。だから今、凄く幸せを感じています。息子が『職業でサッカー選手ができるのは特別』と言ってくれたことがあるんですけど、本当にそれを感じさせられています。そして息子もそうですが、同じスクールでサッカーをしている子供たちにも目標にしてもらえるような存在になっていかないといけない。それも含めて楽しめています(笑)」
地獄を経験した人は、29歳になった。
F・マリノスでは5シーズン目に入り、副キャプテンは2年連続。チームを引っ張っていく存在である。小池にとってF・マリノスとは――。
「自分の目標に置いていたのが海外でプレーすることであり、代表でプレーすることでした。でもその一つがあのような形(クラブの倒産)で消えてしまって、加入しても悔しさが残ったままだったというか。でも1週間くらいで、この面白いサッカーに自分が没頭していることに気づいて、このクラブでタイトルを獲りたいと思うようになりました。日本代表という目標を一度実現させてくれたクラブでもあり、そしてタイトルを獲ることもできた。紆余曲折を踏まえてもいろんなことを経験させてもらっているクラブだし、自分のキャリアを象徴する代表する時期が横浜F・マリノスっていうのは、絶対に変わらないのかなって思いますね」
右ひざに対する不安と恐怖は、いまだにある。きっと消滅することはない。
しかし以前とはまるで違って押しつぶされることはない。なぜなら不安と恐怖をはるかにしのぐ感情を手に入れたからに他ならない。長いケガとの戦いを経て、手にしたものでもある。表情自体も明るく映る。
「当たり前じゃないってことに気づかされました。ピッチからファン・サポーターを見上げること、試合に出ること、毎日普通に歩けること、朝起きて、起き上がることがつらくないこと、子供と遊ぶこと、練習後にマッサージをやってもらえること、妻が料理をつくってくれること……当たり前に、いつもどおりにやっていくには、自分の心と体が常に整っていないといけないんだって思い知らされた気がしています。前とは違うこの体でどこまで進んでいけるか、その挑戦自体を楽しみにしているし、当たり前じゃないないことを当たり前にしていくために自分が問われているのかなっていうふうに感じています」
当たり前じゃないことが有難く、尊い。その実感こそが次の自分に進むための原動力になっている。
活躍を、勝利を、タイトルを当たり前にしていく。先頭に立ってそれをできるのは小池龍太しかいない。