Text by 二宮寿朗
トップチームのコーチングスタッフには、かつてトリコロールのユニフォームをまとって戦ってきたOBたちがいる。F・マリノスの伝統を、プライドを、今の選手たちに伝えていく役割も担う。後編はGKアシスタントコーチを務める榎本哲也のストーリー。プライマリーからアカデミーで育ち、2002年にトップに昇格した彼は横浜F・マリノスで15年間プレーしたレジェンドの一人だ。引退後、指導者としてクラブに復帰。恩師・松永成立GKコーチのもとで〝修行〟の日々を送る--。
〝バタバタ〟は榎本哲也にとって充実の証である。
トップチームのGKアシスタントコーチとして選手を目いっぱい指導し、松永成立GKコーチから目いっぱい学び、試合が終われば選手に見せる映像を目いっぱいこだわりまくって編集して手渡す。一週間のサイクルは、あっという間。大変なのだが、心の底からやり甲斐を感じている。
「むちゃくちゃ充実しています。俺、こういうのやりたかったんだなって思いますから。ただシゲさんがあまりに凄すぎるから、そこが一番のプレッシャーなんですけど(笑)」
榎本には2007年からF・マリノスで最後のシーズンとなる2016年まで松永の指導を受け、才を伸ばしてもらった恩がある。浦和レッズ、カターレ富山を経て2019年シーズンを最後に引退。スクールコーチとして古巣に復帰すると、わずか1年でトップチームからお呼びが掛かることになる。
ここには伏線があった。
「スクールで子供たちに教えていたとき、その年の夏にシゲさんから〝トップチームで指導をやってみないか〟という話をいただいて、ぜひお願いします、と。シゲさんは以前からGKコーチの2人体制を望んでいましたし、僕としてもできるだけ早く本格的にGKを教えていきたいとは考えていましたから」
(記念すべき初指導の日。最初の緊急事態宣言前に撮影)
スクールコーチは「勉強になる毎日」だったという。子供たちを列に並ばせるところから始まる。練習もすぐに飽きてしまうメニューだと集中しなくなる。子供は純粋だし、正直だ。先輩コーチにアドバイスを受けたり、マニュアルどおりにやってみたりして振り向かせていく術を磨いた。「どんな反応になるか毎日震えていました(笑)」は偽りのない本音。それでもその緊張感は、決して嫌ではなかった。そんな折、松永から話をもらった。掛け持ちは大変だと理解していても、恩師のもとで学べるチャンスだと思うとNOという答えなどあり得なかった。
午前はトップチームであくまで臨時としてアシスタントに入り、GK練習のつくり方を見て学ぶ。全体練習が終わると松永がパソコンを使いながら練習の意図など丁寧に説明してくれた。現役時代から松永の指導には信頼を置いていたが、指導者の立場になって違う角度から深み、凄みが伝わってくる。ここまで考えているのかと驚かされるばかりであった。
松永のレクチャーが終わるとスクールコーチの顔に戻り、頭も切り替えてから夕方からの練習の準備に入る。そして飽きさせないメニューで、子供たちの集中を持続させる。そんな日々であった。そして榎本の頑張りや意欲が認められ、2021年からスクールを離れてトップチームのアシスタントコーチになることが決まった。
現役時代の彼は、松永や川口能活と同様に大柄なGKではない。反射神経に優れ、セービングやポジショニング、足もとのテクニックなど細かい技術を大事にしてきた。
19歳だった2003年11月29日、両ステージ制覇が懸かった日産スタジアムでのジュビロ磐田戦。榎本達也のケガによって先発で起用されたものの、フィードを邪魔した相手フォワードに激高して胸を小突き、大一番で退場処分を受けてしまう。事の重大さに気づいて泣き崩れたが後の祭り。チームは逆転勝利で優勝を飾り、歓喜のチームのなかでただ一人泣きじゃくっていた。あの経験があったからこそ、冷静沈着な守護神へと変貌を遂げていく。
2005年以降は正GKとして活躍しながらも、やがてユースの後輩でもある飯倉大樹の台頭によって2010、11年はリーグ戦で1試合も出番が訪れなかった。
「精神的にきつかった。この状況をどう変えていけば分からないから、練習をむちゃくちゃやるしかない。でもやりすぎて、次の日の練習がよくなかったりする。日々、相当なパワーが必要でした」
2013年シーズンは再びポジションを取り戻して、優勝争いに貢献する。ただあと一歩のところで9年ぶりのリーグチャンピオンに届かなかった。そのときの悔しさは今も強く残っている。
「ずっと心に引っ掛かっています。ふと思うんですよね。もしあそこで獲っていれば、自分自身もうちょっとGKとして強くなれていたんじゃないかって」
1試合における平均失点数の「防御率」ではヴァンズワム(2000~2003年、ジュビロ磐田)の0.89に次ぐ1.018をマーク。キャリアを重ねるたびに安定感が増した。
だが、レギュラーとして活躍した2016年シーズンの終盤、彼はフロントからコーチ兼任での契約を打診され、事実上の〝構想外〟だと受け取った。愛着あるチームを離れる決断を下した。
浦和レッズに2年間在籍し、2019年シーズンはユース時代に指導を受けた安達亮監督のいるJ3カターレ富山に移籍した。周りは経験値の浅い選手たちが多い。J1では常識だと思っていたことがここでは通用しない。ならば、自分から伝えていかなければならなかった。
(カターレ富山時代の榎本)
「これまでならGKからボールを出そうにも困らなかった。選択肢がいっぱいありますから。でもカターレはその真逆でした。(味方が)どう動けばいいかホワイドボードを使ったり、僕が持っている映像を見せたりして、言葉もかみ砕きながら伝えました」
家族を残して単身赴任でグラウンド横の寮に住んでいたため、午後にグラウンドに若手と一緒に出て、伝えたことを実際にやってみた。周りがちょっとずつうまくなっていくことが、喜びになっていった。
「子供のころなら吸収できるけど、大人になったらもう手遅れみたいにも言われてきたじゃないですか。でもそんなことない。プロになってからでもみんなちょっとずつ積み上がって、うまくなっていきましたから」
引退したら指導者。漠然と思っていたことが、輪郭を持って見えるようになっていた。他クラブからのオファーもあったなかで、現役にピリオドを打って次の道に進むことを決める。
引退して、もうすぐ2年になる。
シゲさんとの毎日はいつも新鮮で、いつも刺激がある。
「明日、試合メンバー外の選手たちにはこういうメニューをやりますとシゲさんに伝えます。自分で考えたとおりにやってみたら想定していた現象が起こらなくて、練習が終わって日産スタジアムに行って報告したら〝そうなんだよ。その練習だと哲が起こしたい現象は出ないんだよ〟と。あの人分かっていたんだなと思うのと、気づいて良かったなって(笑)。あとは〝やってみないと分からないよ。俺も良くあったから〟とフォローしてもらったんですけど、そういうのがあるから毎回ドキドキなんですよ」
松永の練習メニューはパソコンで提示されるため、図解、言葉による説明で分かりやすく整理されている。ただそのメニューは日々更新されているという。
「もちろん、この日はクロス対応が中心、この日はシュート対応が中心ってベースはあるんです。ただ何が凄いかって、GKのウォーミングアップからして毎日のトレーニングメニューが違う。それだけじゃなくて、その日の状況を見たうえで付け足したり、削ったりする。コーチという立場になってシゲさんを見ると、先を行き過ぎていて全然追いついていける気がしない」
現役時代から松永の薫陶を受けてきた。流れているDNAは同じだ。だからこそ師が何を大切にしているかが分かるし、それは自分が大切にしてきたものでもある。
「一歩目のスピードですよね。足だけじゃないですよ、体全体の姿勢がどうなっているか。そこにこだわってきたし、今も注意して見ています。やっぱりシュートを止めてこそGKは評価される。これまでのクラブの伝統を考えても、その部分においてはJリーグのなかで抜けていないといけないのかなって個人的には思いますね」
選手が試合のフィードバックをできるように、GK専用映像を作成するのも榎本の重要な任務。公式戦も、練習試合もすべてだ。
GKが絡む2、3プレー前から映像を引っ張るようにする。特に気になったシーンは引きの映像と寄りの映像を混ぜるなどして強調する。榎本がなぜ気になったのかここでは提示せず、敢えて考えさせるように仕向ける。現役のころはスタッフから映像をもらって1試合分、丸々見ていた。GK専用映像は、「自分が現役のときにあったら良かったもの」。選手のことを考えて、長くても15分くらいで収めているという。
手間暇掛かるのは承知済み。まずは1試合、90分間通して見るのが先だという。試合翌日のコーチミーティングを終えてから、編集作業に取り掛かる。選手に早めに渡したいときは、徹夜作業になることもあるとか。
日々のトレーニングでも、選手に寄り添う。全体練習が終わって選手が居残りを希望すれば、絶対に付き合う。それは松永がずっとやってくれたことだ。
「俺、シゲさんにどれだけ付き合ってもらったことか。12時に全体練習が終わって、14時までシュート200本以上蹴ってもらったこともあります。自分もあんなにやってもらったんだから、それは同じようにやらなくちゃいけない」
GKのポジションは一つしかない。出られない選手の気持ちは痛いほど理解できる。アドバイスや声掛けのタイミングも意識するようにしている。
同じように今年からアシスタントに入った大島秀夫コーチは現役時代、一緒に戦ってきた仲間でもある。
「大島さんは頭、柔らかいなっていつも思っていますよ。練習メニューも豊富で、人数の増減が急にあっても全然バタつかない。GKも入れてもらっていいですかってお願いすると、どういう設定がいいか聞いてくれて、距離やタッチ数のことを言うとパパッと〝こんな感じでどう?〟とパソコンで示してくれる。あの人フォワードですけど、後ろのポジションのこともよく理解してくれているので頼っています」
その大島が将来はJリーグのチームで監督をやりたいという目標を持っていると榎本に伝えた後に、同じ質問をした。すると返ってきたのは苦々しい、何とも言えないような表情だった。
「将来的に自分がどうなりたいとか、考えている暇なんて今の俺にはないですよ。アシスタントコーチとして余裕あるような立ち居振る舞いを心掛けてはいるつもりですけど、頭のなかは結構ぐちゃぐちゃですから。毎日をしっかりこなしていくことしか頭のなかに今はないですね」
苦々しいはあくまで外面だけ。内面は清々しくある。
そびえている壁が高すぎて、見えていないだけだ。いつかシゲさんから認めてもらえるコーチに。たどり着くには、ひたすら研さんを積むしかないことを分かっている。
(終わり)