まりびと:小山愛理
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Text by 二宮寿朗

 tvk(テレビ神奈川)による「キックオフ!!F・マリノス」の歴史は「日産FCサッカーダイジェスト」までさかのぼる。1993年にJリーグが開幕してからもずっと横浜F・マリノスを追いかけてきた応援番組だ。2015年1月からアンバサダーの波戸康広と一緒にMCを担当するのが小山愛理。F・マリノスをこよなく愛する姿はファン・サポーターからの支持を集めている。彼女はなぜここまでF・マリノスにどっぷりとハマってしまったのか――。

  2022年11月5日、J1最終節。
「キックオフ!!F・マリノス」でMCを務める小山愛理は、ノエビアスタジアム神戸で3年ぶりとなるリーグ制覇を見届けていた。
 マイクを手に優勝を報告する声はかすかに震え、目から涙がこぼれ落ちた。
「首位を走りながらもホームで2連敗してしまって、これはちょっとどうなってしまうんだろうっていう不安が正直あったんです。みなさん〝2013年のことがあるから〟と。私がMCを始める前、優勝を逃がしたこの年の話をよく知らなかったもので。だから優勝を決めた瞬間は安堵した思いもあったんです」
 嬉し涙であり、安堵の涙であり。
 チームを思う気持ちが、そのまま涙となって溢れ出たのだった。

 小山とF・マリノスとの出会いは2014年にさかのぼる。
 空手初段のスポーツウーマンは立教大学に在学中からタレント活動を始めていたなか、小山のスポーツ好きを知る担当マネージャーから「キックオフ!!F・マリノス」MCのオーディションがあることを知らされた。
 スポーツ観戦が趣味ではあったものの、好きなのはむしろプロ野球。読売ジャイアンツのファンでもあった。でも「やってみたい」という感情が心の底から湧き上がった。
「サッカーは日本代表の試合があればテレビで観るくらい。ルールもあやふやでした。でもスポーツに携わる仕事をやってみたいってずっと思ってはいたんです。伝統のある凄いクラブなんだなって分かったし、そのクラブの応援番組に自分のような(サッカーに)詳しくない人で果たして大丈夫なのかな、という思いもありました。F・マリノスの動画をたくさんチェックして選手の名前を覚えたり、サッカーそのものを勉強したりしました。原稿を読む練習とかもしっかりやって、オーディションに臨んだ思い出があります」
 努力の甲斐があって見事に合格。クラブアンバサダーである波戸康広の起用も決まり、2015年1月9日に2人そろってMCデビューを果たした。

写真:MC初期の小山と波戸

写真:インタビューで初めて訪れたマリノスタウンにて

 最初はかなり苦労したという。
「波戸さんはもちろんのこと、私も今まで番組のMCなんてやったことがなかったので右も左も分からないところから始まりました。空白が3秒間続くとか、今映像を見返しても放送事故に近い感じでした。慣れるまでには結構、時間は掛かりました」
 長年コンビを組む波戸に「3秒の空白」を振ると、苦笑いを浮かべながら当時のことを振り返ってくれた。
「あまり思い出したくないですよ(笑)。2人で目を合わせて〝……〟ですからね。時間の尺が残り30秒となったとき、時間に追われてしまって逆に言葉が出てこない。だから2人でどうしよかっていう話をして、小山ちゃんに時間の管理をしてもらって、僕はそこを気にせずにしゃべらせてもらう形になったんです。尺があまったら、小山ちゃんが振ってくれたり、締めの方向に行かせてくれたり。段々と息が合っていく感じになったのは、小山ちゃんのおかげなんです」
 波戸が感心したのは、その勉強熱心さだという。
 ホームゲームを記者席で一緒に観ていると、小山はノートに事象を書き込むようになった。試合の記録のみならず、分からないことは波戸に聞いて忘れないようにとメモにして書き添えた。小山はこのように述べる。
「番組のオンエアでは当然、試合を振り返る原稿を読まなければなりませんから、ノートを見返すだけでどんな試合だったかって分かりますし、昔はルールも今一つ理解できなかったところもあったので、(ノートをつけるのは)頭を整理する意味もありました。波戸さんもそうですけど、番組のディレクターさんにも聞きながらちょっとずつサッカーを覚えていくことができました」  MC就任当初は選手にインタビューしても、自分の言葉で聞いているわけではなかった。ディレクターに相談しながら質問項目をつくり、選手には「聞く」だけで精いっぱい。話してくれる内容は頭のなかに入ってこなかった。これではダメだと思った。

写真:小山のサッカーノート

 苦労はしたが、辛くはなかった。いや、まったくの逆だった。
「それがメチャクチャ楽しかったんです。試合を観ることも好きになったし、こんな楽しいことを仕事にしていいのかっていうくらい。1年目からそう感じていましたし、その気持ちは今でも全然変わらないんです」
 サッカーに、F・マリノスに、どんどんとのめりこんでいく。小山にはほかの活動もあるために基本的にホームゲームのみ取材に行く方針だったというが、彼女はプライベートでアウェイマッチに足を運ぶようになる。

「だって、もし行かないで凄くいい試合だったらちょっと悔しいじゃないですか(笑)。行く理由は、番組のためというよりもただただ現地に行って、試合を観たいから。父も母もF・マリノスのことを凄く好きになってくれて、母と一緒に大阪の試合に行くこともあれば、逆に父が横浜まで観に来てくれることもあります」
 いつしかF・マリノスについては波戸に負けず劣らず詳しくなり、サッカーに対する造詣も深くなった。試合は後でもう一度、映像で振り返っておくことも日課になった。得点シーンのきっかけになったところなど、現場で確認できなかったことをしっかりと押さえておくためでもある。
 選手インタビューも、聞きたいことが自然とたくさん出てくるようになった。ずっとチームを観ている目を持ってインタビューするため、視聴者、関係者ともに評判が上がっていくのは当然でもあった。

 小山はF・マリノスへの思いが強いゆえに、とにかく涙もろい。
 番組内で初めて涙目になったのが、2018シーズン限りで現役を引退することを表明した中澤佑二のニュースを伝える際だと、小山は打ち明ける。
「中澤さんの引退を番組の冒頭でお伝えしたんですけど、不覚にもちょっと声を詰まらせてしまって。原稿を読んでいるので(涙を流したのは)映ってはいないんです。でもスタジオにカメラが戻ったときに目を見れば、泣きそうになったのが分かったかもしれません。
 中澤さんは私がまだ取材に不慣れなころから、気兼ねなくお話ししてくれてお世話になりました。引退だと思うと、ウルッときちゃったんです」
 2019シーズン、チームが2004年以来となる15年ぶりのリーグ制覇を果たしたときの優勝特番でもそうだった。
 波戸は小山の涙を覚えている。
 打ち合わせのとき、番組で使う喜田拓也のコメントを聞いただけで目から涙が出てきたという。波戸の証言--。
「喜田選手の話は事前にも聞いているわけじゃないですか。それなのにボロボロと(笑)。F・マリノスに対する愛情が、純というか、真っ白というか。小山ちゃんのF・マリノス好きレベルは相当なものだと思いますよ」

写真:自身にとって思い出深いと語る2019年の優勝特番

 栗原勇蔵が2019シーズンを最後に引退し、会見を行なった際の代表質問を小山が担当している。会見が終わってからのメディアの囲み取材で後方にいた小山が涙していたのを目撃されている。仕事の際は気丈に振る舞っていたものの、実は感極まっていたことを我慢していたのだ。メディアの質問に応じる栗原の言葉は、涙腺を突っつくスイッチとなった。

 F・マリノスに対する愛情は、視聴者のファン・サポーターにも伝わるものだ。
 日産スタジアムのイベントに出席すると、小山の名前が入ったタオル、ゲートフラッグ、Tシャツをつくってあらわれるファンがいるほど。ファン・サポーターに温かく受け入れられているという実感は彼女にとっても大きな喜びになっている。
 2022年8月には、波戸とのコンビで通過点となる400回目の放送に到達した。2023年は9年目のシーズンを迎えることになる。
 楽しみな気持ちが年々増してくるのだから面白い。それが番組に対する彼女の意欲、そして反響にもつながっている。

 小山は言う。
「ここまで何かにのめりこんだことって正直、人生で初めて。ハマった自分に、ちょっと驚いてもいるんです(笑)。勝つときもあれば負けるときもある。選手のみなさんも、クラブのみなさんも、ファン・サポーターのみなさんも苦楽をともにしている感覚があって、それも全部ひっくるめて楽しい。この仕事に出会えて、F・マリノスに出会えて人生が豊かになったなって凄く感じていて、幸せだし、自分の人生に彩りを与えてもらっています」
 人生に彩りを--。
 F・マリノスを純に、真っ白に追い掛ける彼女の豊かな日々はこれからも続く。