Text by 二宮寿朗
大事ですよ、過去を振り返ることは。
24歳、吉尾海夏は、はっきりとした口調でそう言った。
現状、横浜F・マリノスでの出場機会を増やせているわけではない。まだこのクラブにおいて何を残すことができていない。つまりここでの自分の足跡を振り返ることは、歯ぎしりの日々、落胆の日々を呼び起こす作業でもある。
下を向かず、過去の自分を直視できる強さが今の彼にはある。何があろうとも乗り越えていく覚悟を秘めた目を真っ直ぐに向けて――。
小学4年生からプライマリー、ジュニアユース、ユースとF・マリノスの育成組織一筋。遠藤渓太、和田昌士らの一つ下の世代にあたる。左利きのアタッカーにトップ昇格が告げられたのは、「確か11月か12月、ギリギリのタイミングでした」と振り返る。
期待よりも不安のほうが大きかった。昇格前にトップチームの練習に参加して、レベルの差を痛感させられていたからだ。2017シーズン、河合竜二も最初につけた「35」を背負うことになったが、先輩たちと肩を並べてプレーできる絵を頭に描けなかった。育成組織で最も学んだことは、何よりサッカーを楽しむということ。しかしトップチームに合流してからというもの、楽しむ余裕すらなかった。
それでもすぐにプロデビューの機会はやってくる。
2017年3月15日、ルヴァンカップグループリーグ開幕節、アウェイのセレッソ大阪戦で後半35分から出場すると、第2節ホームのヴィッセル神戸戦(4月12日)からカップ戦に4試合連続で先発。プロとしてやっていけるだけの自信を得ると同時に、一歩進んだ先に待ち受ける壁にぶち当たるといとも簡単にはね返されてしまう自分がいた。その要因を彼は「メンタルの弱さ」だと言い切る。
「これは自分の悪いところなんですけど、いろいろと考えすぎてしまうんです。楽しめないし、どんどん悪い方向にいってしまうというか、プロ1年目はまさにそんな感じでした」
リーグ戦は出場ゼロに終わる。このままじゃいけない、そう胸に誓って臨んだのがプロ2年目、アンジェ ポステコグルー監督が就任する2018シーズン。アタッキングフットボールとの出会いは、何か自分が変われそうな予感があった。
「アンジェ監督は1年目にまったくリーグ戦で絡めなかった僕を、キャンプのときからちょいちょいスタメン組で使ってくれて、自分の持ち味を引き出してくれました。ポジションも外から中のインサイドハーフに入って、そこからいろんなことが整理できてサッカーを楽しめてきた感覚もありました」
待望のリーグ戦デビューは第4節、アウェイの浦和レッズ戦(3月18日)。後半32分から投入されるとエネルギッシュにピッチを動く。活性化されたチームはウーゴ ヴィエイラのゴールによって1-0で勝利している。
「埼玉スタジアムは独特な雰囲気があって、今までテレビで観てきた選手たちと一緒にプレーしているのが何だか不思議でした。何か(サッカー)ゲームのなかに自分が入っているような」
楽しくなかったら「ゲーム」という表現はきっと出てこない。緊張もなく、もっと長くプレーしたいと純粋に思うことができた。
レッズ戦を含めて3試合連続で途中出場を果たした後、中2日で待っていたアウェイ、サンフレッチェ広島戦(4月11日)で初先発。指揮官からの期待の大きさもうかがえた。試合は1-3で敗れたとはいえ、本人としてはまた一歩先に進めたという思いがあった。
壁は突然、自分の前に立ちはだかってくるものだ。
それはサンフレッチェ戦から中3日でのホーム、ヴィッセル神戸戦(15日)だった。この日は控えに回ったものの、1-0とリードしていた後半14分からピッチに入った。
同点に追い付かれた後の後半34分。自陣で受けたパスのトラップが大きくなったところを相手に奪われ、吉尾は必死に追いかけたもののカウンターで勝ち越しゴールを許してしまう。彼は己を責めた。
「アンジェ監督が目指すサッカーをやっていくなかで、結果がなかなか伴わない時期だっただけにどうしても勝ち点が必要でした。にもかかわらずプロになって初めて自分のミスから失点するという経験をしてしまい、それこそ抱え込みすぎてしまったところはありましたね」
少しずつ積み上げてきた自信は崩れ去った。自宅に戻ってもミスのシーンを思い出してしまう。練習ではおのずと消極的なプレーを選択してしまう自分がいた。自分を責め、迷い、苦しむ。負のスパイラルから抜け出せなくなると、出場機会どころかベンチからも外れるようになる。
「完全に自信をなくしていたころ。多分、アンジェ監督に見抜かれていたんだと思います。僕の課題は、一度崩れてしまったら、戻すのが苦手なこと。試合でもそうなんですけど、入りさえ良かったらいい流れのなかで乗っていけるんですけど、うまくいかないときになかなか建て直すことができない」
悩む時間がもったいないと感じつつも、抜け出す術を知らない。己のなかにこびりついてきたものを取り除くことは容易ではなかった。段々と、そして確実に自分を変えていこうと決意する。
まず自らの意思で環境を変えた。
プロ3年目の2019シーズンは、同じJ1のベガルタ仙台に移籍してJ初ゴールをマークするなどステップアップを示すと、2020シーズンからはJ2のFC町田ゼルビアで主力を担うようになる。2021シーズンは10ゴール、10アシストと大車輪の活躍を見せる。
心の支えになっていたのが、先輩の喜田拓也であった。
「仙台に移籍する際も気にかけてくれましたし、町田に行ってからも定期的に食事に誘ってもらっていました。細かくプレーのことを指摘してもらえたりするので『いつも見てくれてるんですね』と言うと、『いや、人から聞いただけ』と照れ隠しなのかはっきり言わないんですよ(笑)。でも絶対に見てくれていたと思います。嬉しかったですよ、やっぱり。
それに喜田くんは会うたびに『お前と一緒にF・マリノスでプレーしたい』と言ってくれました。自分のモチベーションが上がったのは間違いありません」
ゼルビアで活躍して大きくなってF・マリノスに戻る――。このモチベーションこそが2ケタゴール&アシストの背景にあった。
ゼルビアへの愛着は当然あったものの、F・マリノスからの復帰要請が届いたことで吉尾は21年シーズン終了前に即断する。もう少し時間をかければ他クラブからのオファーもあっただろう。だが吉尾の心には、復帰一択しかなかった。
4年ぶりの復帰に心は踊った。
ポステコグルー監督が去り、ケビン マスカット監督のもとで継承されたアタッキングフットボール。トレーニングに入ってみるとチームはさらにグレードアップしていると実感できた。
「外から見ているのと、実際にやるのでは違っていました。僕がいたころよりもスピードがさらに上がっていて、違うチームになっているくらいの感覚を持ちました。自分もある程度自信をつけて帰ってきたつもりですけど、いやこのチームは凄いなって」
新しいポジションはトップ下。西村拓真、マルコス ジュニオールらとの競争は刺激的でもあった。
スピードの壁、激しいポジション争いの壁。
昔の吉尾であれば壁に直面しただけで自信を失い、テンションを落としてしまったかもしれない。チームに帰ってきた彼は壁に対する捉え方自体を変えていた。
「日本一と言っていいくらい競争力の高い、レベルの高いチームでやることは戻ってくる前から分かっていたし、敢えてその環境に身を置こうとも考えていましたから。それが自分にとって絶対にプラスになるとも信じていました」
求められる動き方やボールの受け方をコーチに頼んで映像にまとめてもらい、早く適応しようとする日々もどこか楽しかった。壁の先をイメージできる自分がいた。
成果としてあらわれたのが、復帰後リーグ初先発となった3月6日、日産スタジアムでの清水エスパルス戦。1点リードで迎えた前半43分、センターバックへのバックパスに対して猛プレスを敢行し、クリアを右足でブロックしたボールはゴールに転がり込んだ。待ちに待ったF・マリノスでの初ゴール。泥臭く成長を遂げようとする彼の今と重なっていた。
このエスパルス戦では周りを活かす「トップ下・吉尾」の真骨頂と言えるシーンもあった。
後半13分、相手ゴール前に3対2の数的優位で迫り、中央の吉尾は左のスペースにパスを出し、リターンのパスを今度はフリーで中に入ってきた松原健に落とすと最後はエウベルが決めた。VARでファウルがあったと判定されてゴールは取り消しとなったものの、チームのやりたいことと自分のやりたいことが一致した瞬間だった。
「プレーに余裕があったからあそこでパスを出せたと思うし、試合を楽しめていました。プレーも、メンタルも凄くいい状態にあったと思います」
あっさりと越えてしまったら壁ではない。
先発で出場できたのはエスパルス戦と、次節のアウェイ、北海道コンサドーレ札幌戦(3月12日)のみ。リーグ戦の出場は9試合に終わった。調子は悪くなくとも、厳しい競争下ではベンチに入ること自体が簡単ではない。
以前の彼なら自信を失くして負のスパイラルに入っていたかもしれない。だがもはやそんな心配は要らなかった。足りない部分を見つめ直し、筋トレを含めた肉体改造に取りかかった。
「落ち込む暇なんかあったら、それこそもったいないですよ。やれることをやろうと思っていましたから。よく(中澤)佑二さんから言われていました。『プロである以上、いつ出番がきても最高のパフォーマンスが発揮できるように常に準備をしておけ』と」
吉尾が壁にはね返されていた18年シーズンのこと。J1連続試合出場記録が「199」でストップして、ひざを手術した中澤はモチベーションを落とすことなくリハビリに励んでいた。クラブが次々にセンターバックを補強していたため、出番が訪れない可能性だってある。だが先輩の心は折れなかった。その姿を間近で見ていた。
試合に出ていないときに、どんな準備ができるか。中澤の姿勢を己に取り入れて、食らいついていこうとする。乗り越えるべき壁をにらみながら、前向きにもがく日々を送ることができた。出番こそ少なかったが「意義ある1年にできた」と自信を持って言えた。
オフが勝負とばかりに、体のコア強化に励み、心肺機能をアップさせるトレーニングに取り組んでいる。ある高校の陸上部に参加してランニングフォームの改善にも着手した。
プライベートでは大きな変化があった。1月6日に入籍したことを発表したのだ。栄養面で常にサポートしてくれる妻のためにも、という思いも膨らんでいる。
壁を乗り越える準備を積み上げてきて臨む今シーズン。懸ける思いは背番号「25」への変更にもあらわれている。
「育成組織にいたときにトップチームの選手で特にお手本にしていたのがシュンさん(中村俊輔)、ジュンゴさん(藤本淳吾)。自分もいつか25番を背負って戦いたいっていうのは心のなかにあったんです。今度は自分が25番をつけてプレーして、子どもたちがいつかこの番号をつけたいなって思ってもらえるような選手になりたい。そんな思いもあって、番号を変えることにしました。
僕がプライマリーのころ、シュンさんが欧州から復帰してきたんです。マリノスタウンは僕らのロッカーの前を通ってグラウンドに行くんで、目の前にシュンさんが通っているのを憧れの目で見ていたのを覚えています。僕らが試合をしているときに、ベンチを見たらシュンさんが座っていてびっくりしたことも(笑)。だから僕にとってはずっと憧れてきた番号でもあるんです」
憧れの思いもパワーにして、反転攻勢に打って出る準備はすべて済ませたと言っていい。
勝負のシーズンは主に右ウイングが主戦場となりそうだ。
「キャンプからケビン監督には前線からのプレスのところを言われていますし、そこは凄く意識しています。自分は左利きなので、右から中にカットインしてのシュートもあるので、よりゴールに直結するようなプレーができるはず。
去年たくさんのファン・サポーター、そしてクラブの人もそうですけど、多くの人が僕に期待をしてくれたなかで、まだ応えられていない現状があります。タイトルの獲得に貢献することで恩返していきたい。飛躍する1年に、絶対にしていきたいと思います」
迷いがあって、苦しんで、負のスパイラルに落ち込んで……。そんな自分から逃げなかったからこそ吉尾海夏は強くなれた。
分厚い壁を突き破る、そのときは刻一刻と近づいている。