同じ地域に生まれ、顔なじみで、Jリーガーになって、そして今、横浜F・マリノスに。
大分・宇佐市出身の松原健と岩田智輝は2021年シーズンからチームメイトになった。ポジションまでかぶるのだから、ちょっとした奇跡というほかない。
ピッチで2人になると地元の方言が飛び交ってしまうとか。
5つ違いの「チームUSA」の結束は固い。後編はマツケンも知らないトモキの物語、トモキの思い--。
Text by 二宮寿朗
悔しさがこみ上げていた。
2021年2月26日、等々力競技場。前年覇者・川崎フロンターレとの開幕戦、岩田智輝は右サイドバックで先発のチャンスを得ながらも、0-2とリードされたまま後半途中で交代を告げられて〝地元の先輩〟松原健に後を託した。
F・マリノスでの公式戦デビューは、ほろ苦い味がした。
「気合いは凄く入っていたんですけど、うまくいかずに何もできずに終わったっていうのがあの試合の印象として一番残っています。F・マリノスのサッカーに対する理解度がまだまだ全然足りないところがあったので、その部分でも悔しさがありました」
開幕戦から2試合続けて先発したが、その後は先発と控えを繰り返していくようになる。このサッカーを知れば知るほど、5つ上の〝お兄ちゃん〟の凄味も分かってくる。
「実際一緒にプレーすると、助けてくれるし、気を遣ってくれる。それに健くんはやっぱりうまいなって。ベンチから見ていても、こういうときはこう動くんだ、こうプレーするんだと学びを与えてくれます。このチームのサイドバックは内側に入っていくじゃないですか。中に入る、入らないの判断や相手との駆け引き。また中に入ってからどうするか、とか。自分の頭のなかで理解していてもプレーでなかなか示せなかったので、健くんのプレーを見て、聞いてっていう感じでしたね」
物心ついたときから、一緒にボールを蹴ってくれた近所の優しいお兄ちゃん。
「2人の兄のサッカー観戦についていったら健くんが可愛がってくれて。ドリブルしているのを追いかけていたっていう思い出があります。(サッカーを始めたのは)もちろん兄の影響なんですけど、健くんが遊んでくれてサッカーの楽しさを知ったというのもあると思います」
経歴でも追いかけていくようになる。兄や松原と同じ地元・宇佐の四日市南SSCでプレー。GK以外はどのポジションもやった。攻撃も守備もどっちも好き。センターバックで出てもチャンスとみるや積極的に攻撃参加し、フォワードで出てもしつこい守備を忘れなかった。
周囲も一目置く存在だった。松原は大分トリニータU-15に入れなかったものの、岩田は大分トリニータU-15宇佐で活躍して、2013年に同U-18に昇格する。トップチームにいた松原と同じ選手寮に入り、最初の〝敬語事件〟のことは彼もよく覚えている。いつもの言葉遣いではなかったため、松原から「いつもどおりでいいから」と言われた。
「覚えています(笑)。健くんにどう喋ったらいいのかなって考えていたら、周りの同級生が敬語だったので、一応、そっちのほうがいいかなと思って。でもそう言ってくれたんで、そこからはずっとタメ口でいかせてもらっています」
松原も認める才能は、開花していく。ここでもセンターバック、フォワード、ボランチと何でもやった。プリンスリーグ九州を2度制し、高3時には2種登録選手で10月の天皇杯3回戦でトップチームデビューを果たす。その相手が将来の所属先となりF・マリノスというのも何かの縁なのかもしれない。
2016年、J3降格に伴って片野坂知宏監督を迎えたトップチームに昇格すると、1年目から右サイドバックで主力を担っていく。
「最初は〝J3でやるのか〟って思っていましたけど、後々になってJ3からスタートできて良かったなと。出場機会もありましたし、1年でJ2に戻らなきゃいけないと思っていましたからメンタルも鍛えられました。徐々に実力をつけられていったのかな、と」
トリニータはJ3を制し、1年でJ2に復帰する。
だがその翌々年の2018年シーズン前半戦、プロ3年目となっていた岩田はケガもあって試合にまったく絡めなくなる。ケガだけではなく、自分のマインドも多分に関係していた。
「自分のなかでも腐っていたところがありました。練習でヤル気ないときとか、ちょっと文句を言いながらとか、なんで出られないんだよって思っていたのが周囲にも伝わっていたと思います」
目を覚ましてくれたのが、控えGKの修行智仁であった。年齢はひと回り以上の大先輩。自分の立ち居振る舞いに、苦言を呈してくれたのだった。
『試合に出ることじゃなくて、チームの中心になるためにお前が足りないものを見つめ直してみろ。チームの中心になることを考えたら、行動が変わってくるはずだ』
心のど真ん中にズシリと響いた。
本当にそうだと思えた。
「試合に出ようが出まいが、毎日をやり切れているかどうか。チームの中心になるための行動を考えるようになりました。毎日、練習終わりに修行さんが聞いてくるんです。『100%で練習やれたか?』と。『ほかの人に矢印を向けるな。自分に矢印を向けろ』と。プロとして大事なものを教わった気がします。その後、試合に出られるようになったのは本当に修行さんのおかげなんです」
7月21日のホーム、栃木SC戦まで出場機会は2試合だけ。それも先発は一度もなかった。だが24日の愛媛FC戦で先発のチャンスが回ってくると、残り全試合に先発してJ1昇格に貢献していくことになる。チームの中心になるという自覚も生まれ、チームのことを真っ先に考えるようになった。
J1に昇格した2019年シーズンはさらなる飛躍を呼ぶ。
トリニータは開幕戦で鹿島アントラーズから勝利を挙げると、残留争いどころか上位進出をうかがう位置につける。そんな岩田はU-22代表としても継続的に招集され、ひと皮もふた皮もむけていく。
「今振り返ってみても大きな経験」と語るのが、6月にブラジルで開催された南米選手権。東京五輪世代を中心にA代表の面々が加わったメンバーのなかに、岩田も名を連ねることができた。2戦目のウルグアイ戦に先発し、チームは2-2と善戦した。
「今まで感じたことのないスピード感でした。それにこんなにも(自分と)世界の間にはこれほど差があるのかと実感させられましたね」
衝撃だったのはエディンソン カバーニとルイス スアレスの2トップ。世界基準を見せつけられた。
「カバーニ選手はシュートレンジが広い。日本だと(ゴールまで)距離があったら、入る確率が低くなるからラッキーだなと思えるけど、軽く打ってバーに当てて……。これはヤバい、しっかり寄せないとダメだって思いました。それとスアレス選手はボールがないときの動きが凄くて、それでいてボールを受けたときの反応も素早い。これがトップトップの選手なんだなって。そのときは世界を経験できて良かったなと思ったんですけど、そこで何もできなかったのが今は悔しさとして残っています。この舞台で自分の良さを出せなかった後悔。(目標とする)海外挑戦も、周りができているなかで僕はできていない。チャンスをものにできなかった部分もあると思うんです」
松原との交流はプロになってからもずっと続いていた。
スタメンに名前がなかったら松原が岩田に「どうした?」連絡を取っていたが、それは岩田のほうからも。試合に出ているかどうか「健くんチェック」は欠かさなかった。
なかなか叶わなかった2人の対戦がようやく実現したのが2020年10月10日、ニッパツ三ツ沢競技場でのJ1第21節。後半10分、松原の豪快な左足ミドルを号砲に4点を奪われての大敗であった。
岩田は苦い表情を浮かべて振り返る。
「あの先制点でガックリきました。それになぜそんなところに健くんがいるのって。あんな大差で負けたのは初めてだったし、(チームの)差を感じました。健くんとトリニータから移籍した(オナイウ)阿道くんと試合後に3人で話をして『強かった』と言った記憶がありますね。それまでは勝ってきたんですけど、してやられたって思いました」
のちにF・マリノスからオファーが届くことになる。新たなステージでやってみたいという気持ちとトリニータへの愛着もあるなかで、慕ってきた「健くん」とポジションがかぶるのは岩田としても決して小さな問題ではなかった。
「健くんに連絡したときに全然ウエルカムだよ、一緒に戦おうよって言ってくれたんで、スッキリして移籍を決断することができたんです」
健くんと一緒に戦って、同じチームの健くんを追いかけたい。その思いも抑えられなくなっていた。
シーズンが始まってから先発と控えを繰り返しても、もはや腐ることなどない。
激しい競争を求めてここに飛び込んできた。矢印を自分に向けるのも修行先輩が教えてくれた。うまくいってないときにこそ、試合に出ないときこそ、自分を見つめ直すことができると肝に銘じてきた。今年3月には第一子となる長女も生まれた。家族と一緒にいるだけで、頑張らなきゃと思えた。松原をはじめチームメイトから聞いたり、教わったりして徐々にチームのスタイルを自分のものにしていった。
迷うことなくやっていれば、自ずとチャンスはやってくる。
5月26日に古巣のトリニータとアウェーで初対戦。ボランチに入って先発して、1-0勝利に貢献している。
「プロになって緊張とか一切しなかったんですけど、ワクワクしすぎて緊張しちゃったんです(笑)。なかなかない経験でした。ボランチでも試合に出られるならうれしいし、選手としての幅も広がると思っています。ただ、試合に絡めていないころ、自分を見つめ直してみてサイドバックもボランチもセンターバックもできるけど、飛び抜けた良さがないとも思ってきました。(課題としては)サイドバックでもボランチでも、そのポジションごとに自分の良さを出していかなきゃとは考えています」
トリニータ戦から中断に入るアビスパ福岡戦(7月10日)まで6試合連続となる先発フル出場中でチームも6連勝を飾っている。走り、食らいつき、中央をやらせないのは「ボランチ岩田」ならではの特色でもある。
迷いなくやれているのも、松原健という存在が大きい。いつも気に掛けてくれるから、いつもアドバイスをくれるから、サッカーもメンタルもいろいろと整理ができる。
海外挑戦したいという昔からの夢もある。そのためにもF・マリノスで活躍して「健くんと一緒にシャーレを掲げたい」という目標を果たさなければならない。
あなたにとってマツケンの存在とは?
最後にそう問うと、彼は照れながら「何かに例えるなら携帯電話ですかね」と答えた。
その心は?
「いつも傍にいてくれるし、ないと困る存在なんです。調べたいと思ったら教えてくれるし、思い出も詰まっているし。どうです、うまくないですか? でもお兄ちゃんっていうのがやっぱり一番ですよ」
追いつけ、追い越せとずっと追いかけてきた。
小さいころに一緒にボールを蹴って遊んでもらったときからそれは変わらない。
頼っているのではなく、自分を知る大事な指標として。
これからもトモキは〝お兄ちゃん〟を全速力で追いかけていく--。