2017年3月に横浜マリノス株式会社を退職して5年、クラブ創設30周年にあたり、横浜F・マリノスを振り返って様々なことを書かしていただき、ありがとうございます。 執筆するにあたり、新しいファン・サポーターの方々に少しでも横浜F・マリノスの歴史を知ってもらい、さらにF・マリノスが好きになってもらいたいという思いもあった。この第8回で最後のコラムとなる。
1992年4月1日に、横浜マリノスが創設された。その20年前の1972年4月1日に、前身である日産自動車サッカー部が、横浜工場で誕生した。それから50年という記念すべき年でもある。
その日産サッカー部初代監督の安達二郎さんが、私の退職を横浜中華街で祝ってくれた。
「長い間ごくろうさん」と言って、手紙というかレポートをいただいた。表題は、「チーム発足秘話~素人監督ドタバタ奮闘記」。いつも、このレポートをF・マリノスのファン・サポーターに読んでもらいたいと思いながら、その機会もないまま今日に至った。
今回、最後の30周年記念コラムにあたり、安達監督の奮闘記の中で創部の貴重な話を紹介する。
私が銀座にある日産自動車の厚生課長に呼ばれて、「安達君、日本リーグに入れるようなサッカー部を作ってみないか、会社の方針だ」と言われたのが、チームが発足する10カ月前のことだった。本社人事部にいた同期の小川君(のちのサッカー部長)も同席していた。
当時、日産には都市対抗を戦う野球部はあったが、通年で応援できるスポーツは何もなかった。ラグビー、バレーボール、サッカーのどれか一つを選んで強化するように」という役員会の指示だった。その頃、日産にはラクビーやバレーに熱心に取り組む人は見当たらず、たまたま私が東大サッカー部出身ということもあり、横浜事業所に勤務していた時にプライベートで工場対抗サッカー大会を初めて企画したことが厚生課の中に残っていたのだと思う。グラウンドも横浜にあった。
とはいえ、何から着手しようか皆目分からず、大学の先輩である日本サッカー協会の重鎮・竹腰重丸さんを訪ね、その心得を伺った。
『人材は広くから募り、偏らないこと。チームの核となる人材は技術より人柄で選ぶこと。頭でっかちの大卒チームを作らないこと』
私はこの教えを忠実に守った。安易な妥協を許さず、それから想像を超える難行苦行のドタバタ劇が始まった。
大卒の一人は、私と同じ埼玉県浦和出身が縁で、立教大学卒の鈴木保君に決め、主将を務めてもらうことにした。高卒選手の採用は、入社案内と会社のパンフレットをかばんに詰め、静岡を皮切り、西は福岡、北は北海道まで行脚した。サッカー部の資料などなく、すべて口頭で説明した。国体が山形で開かれると聞き、夜行列車に飛び乗った。朝5時に山形駅に着き、選手の宿泊所を訪ね、名刺を渡し、練習場に行き、差し入れと何でもした。
「日産にサッカー部、そんなのあるの? 聞いたことがない」と無視され続けた。または「会社が強化、強化と言いながら、中途半端で終わる会社が多いんだよ」とも言われた。
もう恥も外聞もなかった。東奔西走にして、どうにか1チーム分の選手の確保が出来た。これに工場チームにいた日産養成学校の数名を中堅メンバーに加えた。
物置を改造して壁に釘を打ち付けた即席の部室を作り、新しいゴールネットとボールを買い入れ、昭和47年4月1日、大卒2名を含む部員18名の日産自動車サッカー部が誕生した。
その後、加茂周監督の招へいなどレポートは続くが、それはどこかで皆さんも見聞きした話だと思うので割愛する。
思えば、当時の日産の決断と人の繋がり、縁が今日の横浜F・マリノスの礎になっている。
そして何よりもサッカーに情熱を持った先輩たちの挑戦があったからこそとだと思う。
今年、F・マリノスは30周年という一つの節目に、チーム一丸となった闘いで5度目となるJリーグ王者に輝いた。来年には、横須賀市久里浜に新たに練習場がオープンする。
日産時代も含め、日本サッカー界を牽引する、まぎれもない名門クラブなのだ。
Jリーグの誕生は、世界に大きく引き離された日本のサッカーを発展させ、ワールドカップ・カタール大会では、優勝の経験のある強豪国であるドイツ、スペインをも打ち破った。
日本代表にも再びF・マリノスから選手を送り込み、さらに日本のサッカーを引っ張っていってもらいたい。
「マリノスファミリー」という言葉も、よく耳にする。30年前にクラブ創設に携わった一人として、このクラブでプレーした選手も、ここで働いた職員、スタッフもすべて含めた「マリノスOB会」をそろそろ作っていいのかもしれない。
新たな未来に向けて、さらなる挑戦を続けて欲しい。
根本正人
日産自動車サッカー部のプロ化業務を担当し、横浜マリノス株式会社では広報部、商品販売部などでクラブ運営に長く尽力。現在、神奈川新聞でコラム「マリノスあの日あの時」(毎月第1、第3金曜掲載予定)、好評連載中。